2009年12月15日火曜日

帰国

夫が約2年間の任務を終わらせ、共に帰国しました。

思い起こせばこの2年間、ブログに書ききることができないほど本当にいろいろなことがありました。英語の苦手な私は最初の頃あいさつもろくにできず、伝えたいことも伝えられず悔しい思いもしました(今でも苦手ですが。。。^_^;)そして、生活に少し慣れてきた3ヶ月目、初めての旅行先で事故に遭い、その後の6ヵ月間はリハビリ中心の生活でした。

まだ、マラウイ生活を1年も過ぎない頃、月に1度楽しみにしていたアジア婦人の会の代表となり、それまで付かず離れずしていた日本人社会とも近くなった気がします。会をまとめるなかで、多くのことを学ぶことができました。

また、ミシンの使い方もわからなかった私が、友人の開催するソーイング教室に毎週通いました。最初の作品が「ぞうきん」だった私が、最後には夫のパジャマや自分のデザインするスカートまで作れるようになりました。これも、懇切丁寧に教えてくれたMさんのお陰です。ありがとうございました。

1年10ヶ月間、通ったマザーテレサの家の孤児院、たくさんの子どもたちに囲まれ、愛らしい目で見つめられ、私自身が子どもたちから多くの愛情をもらった気がします。

1年5ヶ月間、週1回家に英語を教えに来てくれたフェニー、同年代ということもあり、一緒に旅行したり、ご飯を食べたり、泊まりに行ったり、そしてマラウイの文化や現状をたくさん教えてもらい、マラウイの問題についてもたくさん話し合いました。

自分が栄養士としてボランティアができる場所が探せずにあきらめていた赴任1年後、アメリカのNGOでマラウイに赴任してきた方が私の経験を受け入れてくださり、一緒に活動することができました。教材作りが途中までしか出来なかったのは心残りですが、将来、完成品をみるのが楽しみです。

2年間、家を守ってくれたお手伝いのグレイさん、アイロンがけは超一流でした。帰国前に習おうと思っていたのに、バタバタとしてまったくできずに残念でした。そして、ドライバーながら美味しい豆腐を毎週作ってくれたマイケル、ありがとうね。

2年間、もうお腹一杯、しばらくいいわ(笑)。と思えるほど楽しく充実した日々をマラウイで送ることができました。これも夫をはじめ、支えてくださった皆さんのお陰だとつくづく思います。これからも遠くから、マラウイの方々の幸せを祈っています。ありがとうございました。

2009年12月7日月曜日

船便出発

1週間後に日本に帰国し年末年始を過ごした後、来年からスリランカへの赴任が決まった。今日は、スリランカに送る荷物をいくつかまとめたので、私たちより一足早く!?荷物が出発である。

夫の職場の方が通常使用するアナカンはヒトと荷物の目的地が同じでなければ使用不可とのことで、日本に一旦帰る私たちは郵便局の船便(飛行機便なし!)を選択した。郵便局員が言うには「3週間で着く」とのことだが、果たして本当だろうか(-_-)! ましてもうすぐクリスマス、3週間後と言わなくても、せめて私たちがスリランカに赴任して少し落ち着く頃の2ヵ月後くらいに到着してくれることを願う。

それでも、マラウイに赴任する前にスリランカに赴任していた友人に言わせると「マラウイからスリランカに物を送ったら後悔するで」とのこと。そう、スリランカは何でも手に入りしかもマラウイよりも日本よりも安いらしい。“のりたけ”などの食器は日本の物をスリランカで作っているので、良質でしかも安いという。うーん、その一言でかなりスリランカに荷物を送ることを悩み詰め直し、最終的に日本から持ってきた思い出の食器に絞った。ということで、箱の中身はほとんど本やDVD、CDなど日本のもの、そしてここで一目ぼれした木彫りたちである♪

では、スリランカでの再会を願って、いってらっしゃい\(^o^)

2009年12月6日日曜日

最後のマラウイゴルフコンペ

今月、私たち夫婦ともう一人の職場の方が帰国するため、フェアウェルゴルフコンペを開催してもらった。私はCチーム。今日のハンディキャップは夫婦揃って15をもらった。少し曇り空ではるが、暑いこの時期には最高の天候であった。

一打目から先ず先ずの当たりで、気持ちよくスタートした。今日はパーを取れなかったものの、ボギー、Wボギーと比較的安定し、out 53/ in 53、トータル106という満足のいく結果であった。

さて、全員が終了後の結果発表「もしかしたら3位くらいは取れるかな~」と思っていたら、最後になんと“優勝”してしまった。思い起こせば、最初に参加したゴルフコンペはルールも打ち方も知らずに180も叩いてしまったが、この2年弱でよく成長しました(笑)。一緒に遊んでくださった皆様、ありがとうございました(*^。^*)

2009年12月5日土曜日

食事会@日本大使公邸

マラウイは日本人在住者が200人ほどしかおらず、日本人会や日本人学校もない。そして日本大使館は昨年開館したばかりなのである。私は夫の仕事の立場上、そして自分自身も先月までアジア婦人の会の代表を務めていたことがあり、これまで別世界と思っていた大使公邸へは幾度となく足を運んだ。

今回は、もうすぐ帰国する4家族の送別会として、大使&大使夫人がなんと私たち家族を食事に招いてくださったのである。マラウイでは日本人同士のネットワークが小さいので、気軽に公邸に出入りしてしまったが、他の国であれば日本大使などは遠い存在で、あまりお見かけする機会はないのだと思う。

素敵な招待状をいただいた夫と私は、おめかしをして出席させていただいた(^_-)-☆この公邸のシェフは、某プリンスホテルで料理長をしていた方である。イタリアンが専門のシェフであり、イタリアンサラダ、トマトのポタージュ、フォアグラとバジルのパスタ、ヒレカツ、デザートとどれも素敵に盛り付けされ、日本のレストランのようであった。大使と大使夫人とも国際援助のこと、マラウイのこと、今後の進路のことと多くのトピックがあり、話が尽きることなく最後まで楽しく過ごすことができた。

貴重な思い出をありがとうございましたm(_ _)m

2009年12月4日金曜日

オイルショック

11月5日、夫の会社から「ディーゼルが無くなるらしい」と連絡を受けてから早1ヶ月が経過した。これまでも数回このような経験があったのだが、1週間ほどで解消されていたので、当初はさほど問題にしていなかった。それが今回は、かなり深刻な問題となった。

大本の原因は、マラウイ国内のUSDが不足し、燃料を購入できなくなってしまったとのこと。この国のマラウイクワッチャは海外では紙切れ同然、まったく価値をなさないのである。

そして11月末、ディーゼルのみならずガソリンまでもが不足し、とうとう新聞にマラウイのオイルショックの記事が掲載された。ガソリンを購入するために、ガソリンスタンドでポリタンクを持って眠る人たちの写真もある。今週、家のドライバーにガソリンスタンドの列に並んでもらったのだが、4時間ほど並んで、たったの5リットルしか買わせてもらえなかった。ほんの3日ほど前に満タンにしてもらい、念の為並べるときに並ばせたつもりが、事の重大さに驚きである。

友人は、量の規制が始まったのをいち早くキャッチし、お手伝いさんとドライバーの二人に朝6時から並んでもらい、2人分確保したとのこと。おみごと!並んでいる手間隙を考えたら、ポリタンクで商売を始めた人から倍の値段でも購入する気でいたのだが、そのような、いわゆる闇の販売では水を入れられるときがあり、後のエンジンの寿命にかなり影響するというので、躊躇してできなくなってしまった。

今週は、ガソリン節約のためでできるところは徒歩&ミニバスで対応して乗り切った。夫の職場では集団出勤&帰宅で同僚と協力を始めた。昨日からはポリタンクでの購入は危険であり、政府から禁止令がでたために、並んだ車のみへの販売となった。そのため、ガソリンタンクが来る前日からガソリンスタンドには車の長い列がある。

来週は帰国前の最後の1週間、毎日外出しなければならない状態では、車も並ばせられない。最後の手段はガソリンの入ったレンタカーを使うしかなさそうだ。最後の最後まで悩ませてくれるマラウイである。