5月のザンビア旅行で友達になった日本人2人が、3泊4日のマラウイ旅行にやってきた(なにもないマラウイに数日でも遊びに来てくれたなんて、有難い(*^_^*))。そして今日は私の家で歓迎会。ザンビアはアフリカの中では田舎と言われているが、マラウイからみたら完全に都会である。そんなところからのお客様をどうおもてなししようかと数日前から案を練る。そして以下のメニューに決定!
* おでん
* 冷奴とナスの生姜揚げ
* サーモンとトマトのカルパッチョ
* 3色巻きおひたし
* カナッペ
* チーズソーセージ(ソース3種)
* スペアリブ
* カットフルーツ
* 抹茶とあずきのシフォンケーキ(生クリーム添え)
* 乾き物
今日は私たちも入れて合計6名と少人数なので、おでんを囲み会話を楽しんだ♪
さて、ここで今回はマラウイでおでんが食べれるまでの工程を記述する。まずは具材、玉子(茹でるだけ)、昆布(戻して結んだだけ)、人参とジャガイモ(寂しいので入れただけ)、するめ(だしの目的)は簡単に準備ができる。問題は残りの具材。
まずは「大根」、我が家の庭のはとても小さいので、夫の同僚が3ヶ月間大切に育ててきたものをお裾分けしていただいたものを使用。次に「こんにゃく」、粉を使って作成。水にこんにゃく粉を入れた後練り続け、30分放置した後、石灰カルシウムと戻したひじきを細かくしたものを混ぜ、また練る。そして30分以上放置した後に、30分茹で、使う前に灰汁抜きのためにまた茹でる。最後に「さつま揚げ」、3匹の魚を購入し、捌いた後に、細かくたたき、冷蔵庫で冷たくする。再び取り出し、砂糖、塩、水溶き片栗粉、卸し生姜、野菜のみじん切りを混ぜで再びたたいて粘りを出す。最後に成形をし揚げる(たまーにケニア出張者が冷凍の練り物をお土産に持ってきてくれるのだが)。
と、マラウイでおでんを食べるには、手間隙がとても掛かるのである。でも、やっぱり冬にお鍋を囲みたくなる誘惑には適いません。
2009年8月26日水曜日
My English Teacher
小学5年生で英語嫌いになってしまった私は、学生の頃に英語の授業を放棄してきたことを今でも後悔している。まさか、海外で英語を使って暮らすようになるとは、そんな未来がもし見えていたらどんなに頑張ったことか(@_@;)
そんな私も英語が不得意なことは変わらないものの、英語に対する姿勢は大分変わったと思う。マラウイに赴任し、自ら英語の先生を見つけて英会話を習っている。私の先生はフェニーという私の2歳下のマラウイ人女性である。彼女は公立の小学校で国語(英語)と算数の教鞭を執っている。彼女には毎週1回、1時間の授業を私の家でお願いしている。数年前に夫を亡くした彼女は、そのきゃしゃな身体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思うほど、女手一つで子どもを育て、家族を養っているのである。昨年の6月から授業を依頼しているのだが、明るくフレンドリーな彼女とは、勉強以外にも、一緒に旅行や買い物に行ったり、イベントに参加したりとし、今ではマラウイで一番の友人になった。
そんな彼女であるが、少し問題もある。それは、私が言える筋合いでもないが、英語のレベルが低い(-_-;)、最初の頃、私が書いた日記を修正してもらっていたのだが、ある日、そのノートをみた夫が、次々に修正をしていった。そして一言「文法がめっちゃくっちゃだ、、、」これまで、彼女が添削をしてくれたもののほとんどに間違いがあることがわかった。そのため、夫の案で彼女とは英会話だけをすることにした。それでも、マラウイ人のイントネーションは独特であり、例えば「5(ファイブ)」は「ファイビィ」となり、現地語と混じって単語の最後に「イ」が付くものが多いのである。私が朗読をしているときに、余りにも彼女の訂正するイントネーションがひどいと思ったときは、私もやむなく彼女の発音を指摘する。私の発音機能つきの電子辞書で単語の発音を二人で確認するのである。また、もともとおしゃべり好きの彼女は聞き役に回るのがどうも苦手なようで、一人で暴走してしまい、私がそれを制御するときもある。
こんなことを書いてしまうと、なんで他の人を探さないんだと思うかもしれないが、私は彼女が好きだし、マラウイが好きなのである。彼女とマラウイの過去、未来について話すことや新聞からホットな話題を抜き出し、それについてディスカッションをすることは、わたしの楽しみのひとつとなっている。そして、今日も彼女は私との会話を終え、「あー楽しかった」と言って帰っていった。
そんな私も英語が不得意なことは変わらないものの、英語に対する姿勢は大分変わったと思う。マラウイに赴任し、自ら英語の先生を見つけて英会話を習っている。私の先生はフェニーという私の2歳下のマラウイ人女性である。彼女は公立の小学校で国語(英語)と算数の教鞭を執っている。彼女には毎週1回、1時間の授業を私の家でお願いしている。数年前に夫を亡くした彼女は、そのきゃしゃな身体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思うほど、女手一つで子どもを育て、家族を養っているのである。昨年の6月から授業を依頼しているのだが、明るくフレンドリーな彼女とは、勉強以外にも、一緒に旅行や買い物に行ったり、イベントに参加したりとし、今ではマラウイで一番の友人になった。
そんな彼女であるが、少し問題もある。それは、私が言える筋合いでもないが、英語のレベルが低い(-_-;)、最初の頃、私が書いた日記を修正してもらっていたのだが、ある日、そのノートをみた夫が、次々に修正をしていった。そして一言「文法がめっちゃくっちゃだ、、、」これまで、彼女が添削をしてくれたもののほとんどに間違いがあることがわかった。そのため、夫の案で彼女とは英会話だけをすることにした。それでも、マラウイ人のイントネーションは独特であり、例えば「5(ファイブ)」は「ファイビィ」となり、現地語と混じって単語の最後に「イ」が付くものが多いのである。私が朗読をしているときに、余りにも彼女の訂正するイントネーションがひどいと思ったときは、私もやむなく彼女の発音を指摘する。私の発音機能つきの電子辞書で単語の発音を二人で確認するのである。また、もともとおしゃべり好きの彼女は聞き役に回るのがどうも苦手なようで、一人で暴走してしまい、私がそれを制御するときもある。
こんなことを書いてしまうと、なんで他の人を探さないんだと思うかもしれないが、私は彼女が好きだし、マラウイが好きなのである。彼女とマラウイの過去、未来について話すことや新聞からホットな話題を抜き出し、それについてディスカッションをすることは、わたしの楽しみのひとつとなっている。そして、今日も彼女は私との会話を終え、「あー楽しかった」と言って帰っていった。
2009年8月20日木曜日
エチオピアン料理
リロングェにはエチオピアレストランが1軒ある。前回の夫の赴任先がエチオピアだったことを考えると、マラウイに赴任して1年と8ヶ月、とっくに行っていてもよさそうである。しかし、私たちはそのレストランに今日はじめて足を踏み入れた。レストランの中は、マラウイとは思えないくらいおしゃれに飾られていた。エチオピアの絵や木彫り、カゴなど私は1週間だけ旅行にいったことがあるが、とても懐かしく感じられた。
エチオピアのメイン料理は“インジェラ”と言われる分厚いクレープが発酵したようなもの。エチオピア人はこの大きく分厚いインジェラを囲んで食事を楽しむのである。私たちは、同じ時期にエチオピアで働いていたもう一組の夫婦を誘い、4人でインジェラを囲んだ。メニューは、エチオピア時代に3食インジェラを食べていたというインジェラ通の友人(男性の方)に選択してもらった。
なぜ、私たちがこれまでエチオピアレストランに行かなかったかというと、実は二人ともそんなに好きではなかったからである。しかし、このレストランのインジェラは、エチオピア人には物足りないかもしれないが、余り発酵が進んでおらず、すっぱさがマイルドでとても食べやすかった。そして3種類のソースはどれもおいしかった。私が頼んだ飲み物は、蜂蜜を発酵させたワインで“Taj”というもの、これもまたおいしくいただいた♪
友人は「マラウイに来て一番幸せだ!」と言ってしまうくらい、懐かしさに感動していたようである。これまで夫の同僚との食事会の選択肢に含まれていなかったレストランであるが、今度みんなにも勧めてみよう!
エチオピアのメイン料理は“インジェラ”と言われる分厚いクレープが発酵したようなもの。エチオピア人はこの大きく分厚いインジェラを囲んで食事を楽しむのである。私たちは、同じ時期にエチオピアで働いていたもう一組の夫婦を誘い、4人でインジェラを囲んだ。メニューは、エチオピア時代に3食インジェラを食べていたというインジェラ通の友人(男性の方)に選択してもらった。
なぜ、私たちがこれまでエチオピアレストランに行かなかったかというと、実は二人ともそんなに好きではなかったからである。しかし、このレストランのインジェラは、エチオピア人には物足りないかもしれないが、余り発酵が進んでおらず、すっぱさがマイルドでとても食べやすかった。そして3種類のソースはどれもおいしかった。私が頼んだ飲み物は、蜂蜜を発酵させたワインで“Taj”というもの、これもまたおいしくいただいた♪
友人は「マラウイに来て一番幸せだ!」と言ってしまうくらい、懐かしさに感動していたようである。これまで夫の同僚との食事会の選択肢に含まれていなかったレストランであるが、今度みんなにも勧めてみよう!
2009年8月16日日曜日
Likoma Island-3日目-
睡眠不足でありながらも、寝ているのをもったいなく感じ 、朝“Kaya Mawa”の中をひとりお散歩、自分が見た景色をカメラに収めていた。本当にきれいなところである。朝食後も、最後まで楽しみたい私はさっさと着替えてぎりぎりまで泳いでいた。後ろ髪引かれまくりである。
そうして、あっという間に旅の終わりが近づき、最後は“魔のフライト1時間”で締めくくられた。
楽しい思い出をありがとうございましたm(_ _)m
そうして、あっという間に旅の終わりが近づき、最後は“魔のフライト1時間”で締めくくられた。
楽しい思い出をありがとうございましたm(_ _)m
2009年8月15日土曜日
Likoma Island-2日目-
早朝、細い棒で組み立てただけのLodgeの壁から入ってくる様々な昆虫の羽根音で目が覚める。すがすがしい目覚めとは程遠い(-_-;)。それでもドアを開け、目の前に広がる湖を見ると「あー気持ちい♪」と思いっきり伸びがしたくなる。
昨日道端で購入したバナナと小魚を朝食にし、今日から私たちは別世界へ行く!本日のお宿は、マラウイ高級ホテルのひとつ“Kaya Mawa”、これまで私が泊まったホテルの中でも一番高いリゾートコテージである。
“Kaya Mawa”とはマラウイの現地語でMaybe Tomorrowという意味。極力自然を活かした作りは、施工から5年を費やして完成した10の部屋とダイニングルーム、オフィスからなる。これらの建設は、オーナーが島の住民を雇い、ほぼ手作業で行なわれた。そして、そのオーナーはオープンしたこのコテージの従業員を全て工事に携わってきた島の住民にしたのである。すばらしいのは、10の点在するひとつひとつの部屋には鍵がないこと。彼らは「自分たちの中にはお客様の物を盗むものはいない」と自信をもって記述しているのである。このようなことは、深い信頼関係なくしてできることではない。
迎えのモーターボートに乗り、午前中に着いた私たちは早速水着に着替えて、海にダイブ\(^o^)/。マラウイ湖は日本の熱帯魚ファンにはたまらない珍しい品種の魚がいると以前日本にいる友人が教えてくれた。しかし、浜辺近くでシュノーケリングをしていた私には、今朝食べたであろう小魚にしか出会えなかった^_^;。それでも、最近めっきりと温かくなり、泳ぐには最高!夫は久々ヨットにも乗っていたが、どうやらヨットの調子が悪かったようで、すぐに引き返してきてしまった。残念、操作に慣れたら乗せてもらおうと思っていたのに。
昼食後も泳いだり、読書をしたり、昼寝したり、散歩にいったりとそれぞれ好きなことをして過ごした。夕食は好きな場所を指定でき、友人がダイニングルームから少し離れた静かな場所をアレンジしてくれた。シャンパンで乾杯をし、レバーパテ、アヒルのマッシュルームソースとおいしい食事に舌つづみ♪そして、ウエイターが「次のバースデーケーキが最後です」といい、去っていった。んっ!?そう、今日は私の○○歳の誕生日、友人らがサプライズで用意してくれていたのである。友人が「何でウエイター言っちゃうのー。」と言っていたけど、マラウイ人らしくて笑ってしまった。
食後は、部屋に戻り持ってきたワインで飲みなおし、夜中の2時まで皆で楽しくおしゃべりをした。最高の誕生日に乾杯-☆

昨日道端で購入したバナナと小魚を朝食にし、今日から私たちは別世界へ行く!本日のお宿は、マラウイ高級ホテルのひとつ“Kaya Mawa”、これまで私が泊まったホテルの中でも一番高いリゾートコテージである。
“Kaya Mawa”とはマラウイの現地語でMaybe Tomorrowという意味。極力自然を活かした作りは、施工から5年を費やして完成した10の部屋とダイニングルーム、オフィスからなる。これらの建設は、オーナーが島の住民を雇い、ほぼ手作業で行なわれた。そして、そのオーナーはオープンしたこのコテージの従業員を全て工事に携わってきた島の住民にしたのである。すばらしいのは、10の点在するひとつひとつの部屋には鍵がないこと。彼らは「自分たちの中にはお客様の物を盗むものはいない」と自信をもって記述しているのである。このようなことは、深い信頼関係なくしてできることではない。
迎えのモーターボートに乗り、午前中に着いた私たちは早速水着に着替えて、海にダイブ\(^o^)/。マラウイ湖は日本の熱帯魚ファンにはたまらない珍しい品種の魚がいると以前日本にいる友人が教えてくれた。しかし、浜辺近くでシュノーケリングをしていた私には、今朝食べたであろう小魚にしか出会えなかった^_^;。それでも、最近めっきりと温かくなり、泳ぐには最高!夫は久々ヨットにも乗っていたが、どうやらヨットの調子が悪かったようで、すぐに引き返してきてしまった。残念、操作に慣れたら乗せてもらおうと思っていたのに。
昼食後も泳いだり、読書をしたり、昼寝したり、散歩にいったりとそれぞれ好きなことをして過ごした。夕食は好きな場所を指定でき、友人がダイニングルームから少し離れた静かな場所をアレンジしてくれた。シャンパンで乾杯をし、レバーパテ、アヒルのマッシュルームソースとおいしい食事に舌つづみ♪そして、ウエイターが「次のバースデーケーキが最後です」といい、去っていった。んっ!?そう、今日は私の○○歳の誕生日、友人らがサプライズで用意してくれていたのである。友人が「何でウエイター言っちゃうのー。」と言っていたけど、マラウイ人らしくて笑ってしまった。
食後は、部屋に戻り持ってきたワインで飲みなおし、夜中の2時まで皆で楽しくおしゃべりをした。最高の誕生日に乾杯-☆
2009年8月14日金曜日
Likoma Island-1日目-
国土の20%を占めるマラウイ湖には、モザンビークとの国境がある。リコマ島は、その湖のモザンビーク領の中に位置するが、なぜかこの島はマラウイ領となっている。金銭的にもアクセス的にも遠いリコマ島、マラウイ在住2年の間に行けるとは思ってもみなかったが、先月友人に軽く誘われてから、あれよあれよと言う間に7人参加の2泊3日の旅が決まった。
リロングェからはセスナをチャーターし、1時間で着いた。週に1便出ている船では丸1日かかってしまうのである。“セスナで1時間”なんといい響き♪しかし、現実は数名が飛行機酔いとの戦いとなった(@_@;)
1日目は1泊US$10の安宿である。当然出迎えなどはない。おまけにこの島にはタクシーもない。飛行機酔いが抜けきってない状態で、ヒッチハイクをした荷台の後ろに揺られ、その後、各自荷物を持って徒歩15分、やっと到着。丁度昼に着いた私たちはまずのどの渇きを癒そうと定番グリーン(マラウイで一番消費されているビール)を注文した。が、まさかの品切れ!夕飯までには間に合うと言われちょっとがっかり(>_<)そしてランチは思いっきり魚を食べるぞ!と意気込んだものの、「魚メニューは無い」と目の前の湖を見ながら従業員が言うではないか。怒った日本人7人、さあ、これからどうなる。
気を取り直して、サンドイッチ、スパゲティ、ピザを食べ、その後は自由行動となった。私は、保健関連の職種の友人2人とこの島に唯一ある病院を訪問した。片道徒歩45分、いい運動である。そしてラッキーなことに病院の隣には、マラウイいち大きな教会があり、そこも見学した。再びラッキーなことに見学終了後、タイミングよくパトカーが通ったので、ヒッチハイクをしてすんなり帰ることができた(途中ビールを見つけて寄り道をしてしまったが)。
夫はスイミング、他のメンバーは読書や地元の子どもと遊んだりとそれぞれ楽しんだようである。シャワーを浴びた後、団欒をしていると夕食の知らせがきた。メニューはなんとびっくり“フィッシュカレー”、選択肢はビーフか野菜かといわれたのに、従業員の皆さん、頑張ってくださいました(ToT)/~~~みな、感動しながらいただいた。その後も団欒は続き、10時の消灯後は、ランプを受け取り星をみたりと島らしく、のんびり過ごしたのであった。
写真は1日目の宿、サバイバルでしょ!?
リロングェからはセスナをチャーターし、1時間で着いた。週に1便出ている船では丸1日かかってしまうのである。“セスナで1時間”なんといい響き♪しかし、現実は数名が飛行機酔いとの戦いとなった(@_@;)
1日目は1泊US$10の安宿である。当然出迎えなどはない。おまけにこの島にはタクシーもない。飛行機酔いが抜けきってない状態で、ヒッチハイクをした荷台の後ろに揺られ、その後、各自荷物を持って徒歩15分、やっと到着。丁度昼に着いた私たちはまずのどの渇きを癒そうと定番グリーン(マラウイで一番消費されているビール)を注文した。が、まさかの品切れ!夕飯までには間に合うと言われちょっとがっかり(>_<)そしてランチは思いっきり魚を食べるぞ!と意気込んだものの、「魚メニューは無い」と目の前の湖を見ながら従業員が言うではないか。怒った日本人7人、さあ、これからどうなる。
気を取り直して、サンドイッチ、スパゲティ、ピザを食べ、その後は自由行動となった。私は、保健関連の職種の友人2人とこの島に唯一ある病院を訪問した。片道徒歩45分、いい運動である。そしてラッキーなことに病院の隣には、マラウイいち大きな教会があり、そこも見学した。再びラッキーなことに見学終了後、タイミングよくパトカーが通ったので、ヒッチハイクをしてすんなり帰ることができた(途中ビールを見つけて寄り道をしてしまったが)。
夫はスイミング、他のメンバーは読書や地元の子どもと遊んだりとそれぞれ楽しんだようである。シャワーを浴びた後、団欒をしていると夕食の知らせがきた。メニューはなんとびっくり“フィッシュカレー”、選択肢はビーフか野菜かといわれたのに、従業員の皆さん、頑張ってくださいました(ToT)/~~~みな、感動しながらいただいた。その後も団欒は続き、10時の消灯後は、ランプを受け取り星をみたりと島らしく、のんびり過ごしたのであった。
写真は1日目の宿、サバイバルでしょ!?
2009年8月10日月曜日
友人との再会を祝って
先日、夫が仕事関係の会合に出席したときのことである。英国で大学院に通っていた頃のマラウイ人の友人と約10年ぶりに偶然の再会をした。夫は大学院時代にマラウイ人の友人がいたことを覚えていたものの連絡先がわからず、赴任して1年以上たっても彼の存在に気づかなかったのだが、なんと彼は私たちと同じ地域の目と鼻の先に住んでいたのである。
そして今週末は、友人とその家族を我が家のランチに招いた。事前に宗教上の理由でアルコールと豚肉を摂らないことと、2人の子どもが来ることがわかっていたので、メニューは子どもの好きそうなビーフカレーや唐揚げなどを用意した。日本のカレーは比較的どこの国の人にもウケルと思ったのだが、用意している段階で、どのメーカーのルーの箱の成分表示にも“ポークエキス”と記入されていることに気づき、がっくり(_ _)。。。ルーから作らねばならなかった。
当日、子どもたちは結婚式に出席するようなシャツと革靴でかっこよくキメてきてくれた(^_-)-☆彼らは私立の小学校に通い、英才教育を受けているようで家の中でも英語で会話をし、しぐさもおしゃまな感じがした。夫の友人はよく笑い、すてきなお父さんの雰囲気をかもし出していた。「学生時代の寮でもいつもやさしく話しかけてくれていた。」と夫が言うように、ちょっとぽっちゃりしていて、フレンドリーで典型的なマラウイ人であり、とても良い感じの人だった。
食事中は子どもたちの緊張がなかなか取れずに気になってしまったが、カンフー映画のDVDをみせてあげると、大きな声で笑い、最後にはお父さんが「もうそろそろおいとましようか?」というのに、二人が声をそろえて「もっと居る!」と言ったので、嬉しくなってしまった。
これからもよろしくね(^_^)v
そして今週末は、友人とその家族を我が家のランチに招いた。事前に宗教上の理由でアルコールと豚肉を摂らないことと、2人の子どもが来ることがわかっていたので、メニューは子どもの好きそうなビーフカレーや唐揚げなどを用意した。日本のカレーは比較的どこの国の人にもウケルと思ったのだが、用意している段階で、どのメーカーのルーの箱の成分表示にも“ポークエキス”と記入されていることに気づき、がっくり(_ _)。。。ルーから作らねばならなかった。
当日、子どもたちは結婚式に出席するようなシャツと革靴でかっこよくキメてきてくれた(^_-)-☆彼らは私立の小学校に通い、英才教育を受けているようで家の中でも英語で会話をし、しぐさもおしゃまな感じがした。夫の友人はよく笑い、すてきなお父さんの雰囲気をかもし出していた。「学生時代の寮でもいつもやさしく話しかけてくれていた。」と夫が言うように、ちょっとぽっちゃりしていて、フレンドリーで典型的なマラウイ人であり、とても良い感じの人だった。
食事中は子どもたちの緊張がなかなか取れずに気になってしまったが、カンフー映画のDVDをみせてあげると、大きな声で笑い、最後にはお父さんが「もうそろそろおいとましようか?」というのに、二人が声をそろえて「もっと居る!」と言ったので、嬉しくなってしまった。
これからもよろしくね(^_^)v
2009年8月9日日曜日
My Car
今年に入ってずっと調子の悪い我が家の車。直しては復活し、また調子が悪くなりを繰り返していた。そして3ヶ月前、とうとう20km/時しかでなくなってしまった。
これでは、一般道路を走ることは困難である。修理屋さんに原因を探してもらったところ、日本の部品が必要とのことで、早速注文。ちょっとしたミスがあり、2度の注文で2ヶ月ほどかかったのだが、折角お金と時間をかけて直したと思ったら、原因が違うところにもあったという始末。結局ギアボックスを交換しないといけないといわれ、その予算がMK15万(日本円で10万円以上!)。最初に原因を間違えられたことと、金額が高いことから、セカンドオピニオンを探すことにした。
友人に教えてもらったのは南アフリカ人が経営する“SIMMS Electrical and diesel Services”という修理屋さんで、日本人には余り知られていないところである。どきどきしながら、これまでの経過を説明し、検査のために同乗しながら運転をしてもらったところ、「今、いくつかの原因が考えられるから、コンピューターできちんと調べるよ」と言われた。これまでの修理屋さんとの対応の違いに、断然期待が高まる\(^o^)/
待つこと数日、「車内のコンピュータシステムが壊れていたので、それを直して調べなおしたら、原因がひとつに絞れたよ」との回答。「やったー!」しかもオーナーは「南アフリカでも部品は買えるけど、あなたは日本人なのだから、日本からオリジナルの部品を取り寄せるべきだよ。その方が断然安いし」とアドバイスをしてくれた。そして3週間ほどで部品を手に入れ、2日間で修理終了!掛かった予算は部品取り付け代のMK5000と日本から取り寄せた分の約4万円。さらに、3ヶ月の保証つき!
今日で6日目、我が家の車は絶好調である♪
この修理屋さんを教えてくれた友人と何度も部品の注文に対応してくれた親に感謝!
これでは、一般道路を走ることは困難である。修理屋さんに原因を探してもらったところ、日本の部品が必要とのことで、早速注文。ちょっとしたミスがあり、2度の注文で2ヶ月ほどかかったのだが、折角お金と時間をかけて直したと思ったら、原因が違うところにもあったという始末。結局ギアボックスを交換しないといけないといわれ、その予算がMK15万(日本円で10万円以上!)。最初に原因を間違えられたことと、金額が高いことから、セカンドオピニオンを探すことにした。
友人に教えてもらったのは南アフリカ人が経営する“SIMMS Electrical and diesel Services”という修理屋さんで、日本人には余り知られていないところである。どきどきしながら、これまでの経過を説明し、検査のために同乗しながら運転をしてもらったところ、「今、いくつかの原因が考えられるから、コンピューターできちんと調べるよ」と言われた。これまでの修理屋さんとの対応の違いに、断然期待が高まる\(^o^)/
待つこと数日、「車内のコンピュータシステムが壊れていたので、それを直して調べなおしたら、原因がひとつに絞れたよ」との回答。「やったー!」しかもオーナーは「南アフリカでも部品は買えるけど、あなたは日本人なのだから、日本からオリジナルの部品を取り寄せるべきだよ。その方が断然安いし」とアドバイスをしてくれた。そして3週間ほどで部品を手に入れ、2日間で修理終了!掛かった予算は部品取り付け代のMK5000と日本から取り寄せた分の約4万円。さらに、3ヶ月の保証つき!
今日で6日目、我が家の車は絶好調である♪
この修理屋さんを教えてくれた友人と何度も部品の注文に対応してくれた親に感謝!
2009年8月6日木曜日
アジアの会
マラウイは珍しいことに日本人会というものが存在しない。その代わりといってはなんだが、ほとんどの日本人夫人らは、このアジアの会のメンバーである。この会が正式に発足したのは、定かではないが2005年なので、比較的新しい会といっていいだろう。当時国交があった台湾の方々が友人らに呼びかけ、月一度の交流会(お茶会)をおこなったのが始まりである。残念なことに、昨年マラウイは台湾との国交を打ち切り、中国との国交を始めたため、台湾の方々は帰国してしまった。
そして今日は、その交流会を我が家で開催したのである。我が家はアパートのため、他の友人らが住む家よりも小さいことが気になり、これまでアジアの会の会場として提供したことがなかった。しかし、8月はインターナショナルスクールの夏季休暇であり、多くの方が帰国をしているため、参加人数が多くても20人くらいであろうと見積り、今回ホストとして手をあげた。
これを機に、いつも倉庫に使っていた1階の一部屋を大掃除。敷地内に常駐している庭師兼大工の方に協力してもらい、壁もきれいにペンキを塗りなおしてもらった。そしてゲスト用のトイレは、この国の人たちが愛用している“チテンジ”といわれる布で、マットやトイレカバー、カーテン、ペパーホルダーのセットを手作りした(ちょっとはりきりすぎ!?)。前日は、隣に住む夫の同僚に、ソファー、テーブル、食器、ポット等を借り、お手伝いさんやドライバーさんと一緒に引越しのように運搬作業をおこなった。
そして当日、9時半の開始にあわせて、昨日作っておいたロールケーキを仕上げ、スティック野菜を盛り付け、お好み焼きを作りかけていたそのとき、すべての音が一瞬消えた(+o+)!ゲゲッ!なんともうすぐ始まろうとする9時、停電になってしまったのである。我が家にはジェネレーターがなく、唯一あるのはキャンプで使うような小さなパラフィンストーブのみ。電気の復活を願いつつ、そのストーブでお茶用のお湯を沸かし、作りかけのお好み焼きを完成させた。
9時半を過ぎ、皆が次々とやってきたが、相変わらず電気は復活しない。皆が持ってきてくれた一品を倉庫に使っていた部屋のテーブルに並べていったのだが、運悪く照明のないその部屋は暗かった。そのため、少し狭くなってしまうが料理をリビングルームとダイニングルームに運び、そこで食事をしながらおしゃべりをした。せっかく用意した音楽も流せず、ホスト役の私としてはちょっと残念(>_<)。でもこの月一度の交流会は唯一多くの友人に会える機会であり、貴重な情報交換の機会でもある。電気はなくとも人が集まれば楽しいことは間違いない。
最後まで電気はこなかったものの、無事終了(-。-)。お手伝いさんとドライバーさんと3人で残ったケーキやお菓子でお茶をした後、「よし、かたづけるか!」と腰を上げると、なんと電気が復活した。掃除するのに電気は必要ないんですけど。。。
まっこれが途上国の生活なのです^_^;
そして今日は、その交流会を我が家で開催したのである。我が家はアパートのため、他の友人らが住む家よりも小さいことが気になり、これまでアジアの会の会場として提供したことがなかった。しかし、8月はインターナショナルスクールの夏季休暇であり、多くの方が帰国をしているため、参加人数が多くても20人くらいであろうと見積り、今回ホストとして手をあげた。
これを機に、いつも倉庫に使っていた1階の一部屋を大掃除。敷地内に常駐している庭師兼大工の方に協力してもらい、壁もきれいにペンキを塗りなおしてもらった。そしてゲスト用のトイレは、この国の人たちが愛用している“チテンジ”といわれる布で、マットやトイレカバー、カーテン、ペパーホルダーのセットを手作りした(ちょっとはりきりすぎ!?)。前日は、隣に住む夫の同僚に、ソファー、テーブル、食器、ポット等を借り、お手伝いさんやドライバーさんと一緒に引越しのように運搬作業をおこなった。
そして当日、9時半の開始にあわせて、昨日作っておいたロールケーキを仕上げ、スティック野菜を盛り付け、お好み焼きを作りかけていたそのとき、すべての音が一瞬消えた(+o+)!ゲゲッ!なんともうすぐ始まろうとする9時、停電になってしまったのである。我が家にはジェネレーターがなく、唯一あるのはキャンプで使うような小さなパラフィンストーブのみ。電気の復活を願いつつ、そのストーブでお茶用のお湯を沸かし、作りかけのお好み焼きを完成させた。
9時半を過ぎ、皆が次々とやってきたが、相変わらず電気は復活しない。皆が持ってきてくれた一品を倉庫に使っていた部屋のテーブルに並べていったのだが、運悪く照明のないその部屋は暗かった。そのため、少し狭くなってしまうが料理をリビングルームとダイニングルームに運び、そこで食事をしながらおしゃべりをした。せっかく用意した音楽も流せず、ホスト役の私としてはちょっと残念(>_<)。でもこの月一度の交流会は唯一多くの友人に会える機会であり、貴重な情報交換の機会でもある。電気はなくとも人が集まれば楽しいことは間違いない。
最後まで電気はこなかったものの、無事終了(-。-)。お手伝いさんとドライバーさんと3人で残ったケーキやお菓子でお茶をした後、「よし、かたづけるか!」と腰を上げると、なんと電気が復活した。掃除するのに電気は必要ないんですけど。。。
まっこれが途上国の生活なのです^_^;
2009年8月3日月曜日
初代大統領メモリアル
週末の昨日は少し気温も上がりドライブ日和♪
首都にある2カ所の初代大統領のメモリアルを夫とふたりで訪問した。
初代大統領のカムズ・バンダ氏(1898年ころ生誕)は、マラウイで小学3年生まで教育を受けた後に、ジンバブエ、ナタール(ターバン)、ヨハネスブルグで働きながら教育を受け、教会の支援により医学分野で博士号をアメリカで取得した。後にロンドンで開業しながらアフリカの教育支援をしていたが、1958年にマラウイの独立を目指すNAC(Nyasaland African Congress)のリーダーに成るべくして帰国した(マラウイを知るための45章参照)。
ここまで聞くとなんと素晴らしい人だろう。と思うのであるが、1964年の独立以降は独裁政治に目覚めてしまい、税金の無駄遣いや職権乱用を繰り返したために、国民の批判が高まり、1994年の選挙により政権が交代した。そして1997年の11月25日に亡くなったのである。
今回、最初に訪問した場所は、その大統領が眠るお墓である。彼が亡くなった翌月にこの建物に遺体が収められたとのこと。写真中央の階段をのぼると造花できれいに飾られたレプリカのお墓があり、本物はこの建物の下で眠っている。Visitor’s Bookを見ると、この日だけでも訪問客が50名ほどいた。独裁政治を行ないはしたが、マラウイの独立を勝ち取り、初代大統領として国民を率いたことは評価されたということなのだろうか。
次に訪問した場所は、2007年に建てられたばかりの新しい時計塔である。上まで登ったらさぞかし眺めがきれいそうであるが、残念、鍵がかかっていた。手前にあるバンダ初代大統領の銅像の立ち姿がユニークでなんだか笑ってしまった。写真屋さんが常駐していたので、大統領が右手に持っているものは何かと質問をしてみたが、「“力”の意味だ」といわれたが具体的には何かわからなかった。
リロングェは首都としては珍しく、美術館や博物館が見当たらない。今回訪問した2ヶ所が唯一歴史を感じられる場所ではないかと思う(少しだけね)。
首都にある2カ所の初代大統領のメモリアルを夫とふたりで訪問した。
初代大統領のカムズ・バンダ氏(1898年ころ生誕)は、マラウイで小学3年生まで教育を受けた後に、ジンバブエ、ナタール(ターバン)、ヨハネスブルグで働きながら教育を受け、教会の支援により医学分野で博士号をアメリカで取得した。後にロンドンで開業しながらアフリカの教育支援をしていたが、1958年にマラウイの独立を目指すNAC(Nyasaland African Congress)のリーダーに成るべくして帰国した(マラウイを知るための45章参照)。
ここまで聞くとなんと素晴らしい人だろう。と思うのであるが、1964年の独立以降は独裁政治に目覚めてしまい、税金の無駄遣いや職権乱用を繰り返したために、国民の批判が高まり、1994年の選挙により政権が交代した。そして1997年の11月25日に亡くなったのである。
今回、最初に訪問した場所は、その大統領が眠るお墓である。彼が亡くなった翌月にこの建物に遺体が収められたとのこと。写真中央の階段をのぼると造花できれいに飾られたレプリカのお墓があり、本物はこの建物の下で眠っている。Visitor’s Bookを見ると、この日だけでも訪問客が50名ほどいた。独裁政治を行ないはしたが、マラウイの独立を勝ち取り、初代大統領として国民を率いたことは評価されたということなのだろうか。
次に訪問した場所は、2007年に建てられたばかりの新しい時計塔である。上まで登ったらさぞかし眺めがきれいそうであるが、残念、鍵がかかっていた。手前にあるバンダ初代大統領の銅像の立ち姿がユニークでなんだか笑ってしまった。写真屋さんが常駐していたので、大統領が右手に持っているものは何かと質問をしてみたが、「“力”の意味だ」といわれたが具体的には何かわからなかった。
リロングェは首都としては珍しく、美術館や博物館が見当たらない。今回訪問した2ヶ所が唯一歴史を感じられる場所ではないかと思う(少しだけね)。
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