2009年6月28日日曜日

1歳の誕生日パーティー(韓国編)

なぜ、マラウイで韓国の1歳の誕生日について書くかというと、今週末、友人(日本人)とその夫(韓国人)の子どもが1歳の誕生を迎え、彼女の誕生日会に夫婦で招待していただくという貴重な機会に恵まれたからである。

韓国では、昔は1歳まで生きるのが大変だったことから、1歳を迎えたときに盛大に祝うという伝統があり、その儀式(韓国語:トルチャンチ=平たく言えば1歳の誕生日パーティー)は現在でも行なわれている。

彼女の誕生日会は、日本人社会と韓国人社会プラスαのお客さんが招待され、とても盛大であった。なかでも興味深かったのは、1歳になった赤ちゃんが最初に持つ物によって未来を占う方法である。お金だと“お金に恵まれ”、鉛筆だと“学業に優れる”、糸だと“長寿”を意味し、彼女の前にそれらの品を用意する。合図の後に彼女が手にしたものは、ずばり“お金”であった(*^。^*)。うん、親孝行(笑)。

こうして、食事におしゃべりにと楽しいひと時を過ごすことができた。写真は、親子が座るメインテーブルである。ビスケットやフルーツが独特の方法で山積みにされ、隣のテーブルには招待客からのお祝いの品が置かれていた。

2009年6月26日金曜日

マラウイに大工がやってきた♪

このタイトル、本人に見せたら「ちがーう!」と言われるかもしれないが、きっと見られることはないので良しとしよう。なぜって、私の心が「わーい大工さんが来たー\(*^。^*)/」と叫んでいたのだから。

彼の本当の職業は“家具職人”。奥さんの仕事で日本から一緒に赴任されて、早3ヶ月がたった。赴任時に飛行機で持ってこられる荷物は約80kgであるが、その中の半分に当たる40kgを仕事道具が占めていたというのだから、本物だ!以前私がグアテマラに赴任したとき、「栄養士なのに包丁を持ってこなかったのー」と周囲の人に驚かれたのを懐かしく思い出した。(なんと志の違うこと^_^;)

さて、赴任当初の彼は家や車がなかったため、それらの調達に忙しそうであったが、最近は落ち着かれた様子で、家の家具作りや飼い始めた子犬の小屋作りなどをしている。そこへ私が、以前から欲しいと思っていた“豆腐の型”が作れないかを相談させてもらったのである。

彼は「うむうむ」と私が持つ既存の型を眺め、ノートにさらさらっと何かをメモし、作ることを了解してくれた。そして数日後、「できましたよー」と電話がかかってきた♪

“豆腐の型”は見てびっくり!(+o+)!、なんと素晴らしい出来栄え、これは日本文化としてマラウイの方々にお披露目する価値があるくらいすごい。細かなところまですべて計算され、無駄なところが一切なく、肌触りも滑らか。このすごさ、写真だけでわかっていただけるだろうか。

そして、今日はこの型を使った豆腐作りをした。

旦那様、今晩のおかずは何にしますか?

2009年6月25日木曜日

大根どろぼう!

我が家はアパートのため、他の日本人が住んでいる家よりも小さめで、庭の広さは一部屋程度。そこから少ないスペース(タタミ2畳分ほど)を利用して家庭菜園をしている。これまで収穫した野菜は、にら、ゴーヤ、春菊、唐辛子、葱、大根等マラウイでは余り手に入らない野菜とバジルやミント、パセリ等ホームパーティーに一役買ってくれる香草類。

これまで何も問題なく育てていたはずが、最近ちょっと様子がおかしい。5cmほど葉が成長したカブがあっというまになくなり、おいしそうに茂ったルッコラがどんどん無くなっていった。

お手伝いさんに尋ねたところ、「最近、アリが近くに巣を作って大量に発生したからそのせいではないか」という。これまでも虫が食べてしまい、葉が虫食い状態になっていたことはあったけど、葉切りアリなのかな?こんなにきれいに表面に出ているところが食べられてしまうのだろうか?と疑問であった。それが最近、大切に、大切に2ヶ月以上かけて育ててきた大根が思いっきり食べられているではないか!

その歯形はまさしく“ねずみ”、げげっ(-_-;)”” どうすればいいんだ!お手伝いさんに再び聞いてみると「夜の警備員が大きいねずみが最近この敷地内を走り回っている」という。これじゃあ、家庭菜園がねずみのえさになってしまう。話し合いの結果、ねずみ退治のえさを置く事にしたのだか、来る日も来る日も完食。果たしてこの意味は!?

薬が効いてないのか、ねずみの数が多すぎるのか。。。仕方がないのでしばらく家庭菜園はお休みすることにした。

警告(p_-)/「P-」
「もうあなたたちのえさになるものは、この敷地内にはありません。早く去りましょう!」

2009年6月22日月曜日

我が家のお手伝いさん

我が家のお手伝いさん、英語はちょっと片言だけど働き者で、誠実で、そして器用である。夫の仕事の前任者からそのまま引き継いだのだか、彼からは「試しに何度かお金を置きっぱなしにしてみたけど盗られたこともなく、勤務態度も真面目だ」とのお墨付き。

赴任したばかりの頃の私は、それこそ家の中に常に他人がいることへの抵抗を感じたものの、すぐにその人柄に惹かれ、今ではなくてはならない存在になった。ちなみに我が家では隣の家の人とお手伝いさんをシェアしているので、週3日の勤務をしてもらっている。

そうそう、先に伝えておかねばならないが、お手伝いさんは男性である。日本人の感覚だと女性を想像しがちであるが、マラウイでは男性のお手伝いさんも多い。赴任したての頃、このことを言い忘れたばっかりに、私の母はお手伝いさんへと“ピンクのエプロン”を2枚日本から送ってくれた。いい歳したおじさんに、ピンクの、しかも1つにはフリルもついたエプロンを着けるのは想像しただけでも可笑しかったので、結果的に私のエプロンと交換した。お母さん、その節はどうもすみませんでしたm(_ _)m

さて、その彼にとって今日はHappyな日のはず♪
なぜなら、日ごろの勤務態度に感謝を込めて、来月から昇給をすることを今朝の夫と私との3者面談で伝えたからである。通常、勤務条件等の変更は1年ごとの更新時であり、私たちの場合は11月となるがそこまで待つ必要がないと判断した。最初に彼に伝えたときは、想像もしてなかったことだと思うので、きょとん(!?)としていたが、意味がわかったとたんSmileになり、私もHappyな気持ちになった。

これからもよろしくお願いします(^_-)-☆

2009年6月21日日曜日

どおってことない事

土曜日「ランチを食べ終わったレストランでのこと」
夫:Excuse me! つまようじ貰える?
ウエイター:OK! 
(ウエイターが去りかけたところで)

夫:あっそれからソフトクリーム2つ
ウエイター:カップとコーンどちらにしますか?
夫:カップで 
(ウエイターが去った後で)

私:今、一度にふたつの事をお願いしちゃったね。
夫:あー絶対つまようじ忘れるよ!
(しばらくして、、、)

ウエイター:お待たせしました。ソフトクリームです。
夫:つまようじは?
ウエイター:はっ(*o*)!?
夫&私:やっぱり^_^;


日曜日「中華レストランに持ち帰り用のおかずを買いにいったときのこと」
夫:牛肉と野菜の炒め物のsmall1つと餃子のsmall1つ 
私:それから春巻きのsmall1つと中華風胡瓜の漬物1つ
ウエイター:おかけになってお待ちください
(しばらくして、、)

ウエイター:お待たせしました。全部でMK2600です。
そして、私たちは支払を済ませて家に帰った。

私:さあ、温かいうちに食べよう!飲み物は何にする?
夫:やっぱりこのおかずにはビールでしょ!
そして、おかずをお皿に移そうと容器を開けていると

夫&私:、、、(゜o゜)
私:なんで、胡瓜の漬物が昆布の煮物に変わっているの。。。
夫:もう口がビールと胡瓜の漬物を待っている状態だったのにー(T_T)/~~

ほーんと、毎日毎日、お約束のようにこのようなことが続くと、人間、物事の許容範囲が広がってきちゃうんです。  

2009年6月17日水曜日

サッカーボールは何からできているか

マラウイでは、子どもも大人もサッカーは大好きである。夕方、郊外でミニバスに乗っているとサッカーで遊んでいる姿、またそれを見ている人たちの姿が目に付く。先週末は、私がいつも一緒にまわっているゴルフのキャディーさんが午後はTVでサッカー観戦をしないといけないといって帰っていった。このようにサッカーはマラウイ人の日常のスポーツとしてとけ込んでいる。しかし、サッカーボールとなるとそれは高級品のひとつとなる。。

たまに市場に座っている靴の修理屋さんが、破れたサッカーボールの皮革の部分を太い針と糸を使って縫っている光景をみることもあるが、村で子どもたちが手に入れるサッカーボールのほとんどはプラスチックやナイロンの袋から作ったお手製サッカーボールである。写真の青いボールがそれであるが、最後にヒモでうまく球形を固定していて、本当に器用だなーと思う


村では、このお手製ボールの材料集めだってなかなか大変な作業、となるとこのボールも彼らにとっては貴重品。日本の子どもにこの気持ちがわかるかな~(*_*;



さて、ゴミの分別ができないマラウイで暮らしている私にとって、なんでもかんでも一緒くたに捨てることへの抵抗を感じるものの、どうすることもできないもどかしさを感じていた。そこへ、私の友人がこのボールを作るための材料のドネーションを募ったではないか。これは協力するでしょ!ということで、今日はこのドネーションをもって友人宅を訪ねた。これからも協力させていただきます(^_-)-☆

2009年6月16日火曜日

耳掃除

マラウイに来るまで自分以外の耳掃除をしたことがない私であるが、毎週通っている孤児院では、2ヶ月に一回ほど子どもたちの耳掃除をしている。といっても、本格的にというよりは、綿棒で耳の外側と穴周辺をきれいに拭き取る程度。今日はその日であった。

耳掃除に対して子どもたちの反応は様々。綿棒をみせただけで注射と勘違いするのか泣き出す子、私の膝の上でなんとも気持ちよさそうな表情をする子。そして彼らの耳掃除をした綿棒は大概真っ黒になる。最初これをみたときは、もっと頻繁に掃除してあげた方がいいのかとも思ったが、インターネットで耳掃除について調べるうちに、「まあ、2ヶ月に1回ほどでよいだろう」と自分の中で判断した。ちなみに、日本で推奨されているのは2-3週間に1度のようである。

その理由は、第一にマラウイでは頻繁に耳を掃除する習慣がない。私のお手伝いさんに聞いたところ、4ヶ月に1度掃除するという。そして綿棒が手に入らないときは、マッチ棒をつかうとのこと。第二に、耳垢は酸性であること、たんぱく質分解酵素があることからある程度付着していることで、殺菌作用が維持できること。第三に、耳垢に含まれている脂肪が耳の表面を保護していること。第四に、耳にはそもそも耳垢を外に出そうとする自浄作用があるので、その力を低下させることがないようにしたいこと。である。それでも汚れすぎても難聴や炎症の原因になってしまうとのことなので、上記のように決めた。

そして、間違っているかもしれないが、耳垢は耳垢腺からの分泌物や皮膚が剥がれた物や外部の埃などからなるとのことなので、「黒人の子の耳垢が黒いのは自然なことなのかな」なんて勝手に納得してしまった。(それとも本当に汚れがひどいだけ?)

最後に余談であるが、耳掃除をするだけでも、日本の技術のすごさを実感してしまう。これまで日本で綿棒を購入して、少し使うだけで綿の部分が抜ける経験などしたことがないが、ここで購入した綿棒(何処産であるかは不明)はすぐに綿がほつれてしまい、使用しづらくってしょうがない。。。

2009年6月13日土曜日

ゴルフコンペ

今日は夫の職場のゴルフコンペに二人で参加してきました!
南半球に位置するマラウイでは、最近になって冬到来か朝夕には電気ストーブを使うようになったので、朝6時半スタートはちょっと辛かった(>_<)。寒いとどうしても身体がカチコチになり、思うように動かなくなるしね。それでも乾季のゴルフは球がよく転がってくれるので、本日の私のスコアーは122。まあ、よかったです。そして、順位は15人中ナ・ン・ト・準優勝!

こんなスコアーで?と思うかもしれませんが、種を明かすと、このゴルフコンペでは、これまでの結果を反映させたハンディキャップがつくので、私のハンディキャップは参加者の中で最高の45。これまでいかに成績が悪かったかということですね^_^;

それでも、やっぱり賞をいただけると嬉しかったです。いつも一緒に回っているキャディーさんにもボーナスをあげて共に喜びました。そして本日の一番のビックニュースは、夫の優勝!スコアーは過去最高とはいかなかったのですが、109です(あっ言っちゃった)。優勝賞金として近所の美味しい中華レストランのお食事券をいただいたので、一緒に楽しんできまーす♪

2009年6月12日金曜日

家庭訪問

私は、今年の3月よりアメリカのNGOで栄養士としてボランティアをさせていただいている。支援対象はHIV+の女性で、且つ6ヶ月から18ヶ月の乳児を持つ母親である。このNGOでは、Porridge(おかゆ)を作る粉(通常とうもろこしの粉)を栄養強化した通称“バイタミール(VM)”を離乳が必要な乳児のために毎月配布している。私に求められている活動は、そのVMを配布するときに使用できる教材づくりである。

私はこれまでマラウイで栄養士として働いた経験がない。そのため、ニーズにあった教材を作製するには、母親に必要な情報は何か、現在どのような生活を営んでいるか(生活環境)、また教材を使ったときにどのくらい理解する力があるか、等を知る必要がある。そこで、現在支援対象地域の保健所スタッフに協力を仰ぎ、NGOスタッフとともに支援対象女性の家庭を訪問させていただいている。

これまで10件の家庭訪問を終了し、郊外に住む平均的な家庭(支援対象者中)というもののイメージがつかめてきた。訪問した家庭は、ほぼ全てにおいて電気がなく、家に上下水道が整っておらず、家庭菜園や家畜の所有がない、または十分でないことがわかり、家庭によっては一夫多妻であるために通常夫が家にいない場合もある。そして誰もがVMの支援が1パックでは足りないと洩らす(乳児30食分/パック)。これらの課題に対してどういったアプローチをすると良いか、できるだけ持続可能性(自立発展性)を意識して伝えられる媒体が作れたら良いと思う。

まずはドラフトの締切が今月中旬、さあ、がんばるぞ!

写真は、支援対象女性の保健所往来の様子である。頭の上のブランケットの中には、保健所でもらったVM、石鹸、飲み水用の消毒塩素、水をこす布等が入っている。今日保健所で出会った女性の中で、一番遠い家に住むものは、片道3時間掛けて、赤ちゃんを背負って歩いてきたという。帰りは当然荷物が増える。往復6時間の道のりプラス保健所での待ち時間を考えると、1ヶ月に1度保健所に行くと言う事が、いかに重労働であることがわかっていただけると思う。

2009年6月11日木曜日

Eco-Goods

この写真、なんだかわかりますか?
市場で見かけて思わず買ってしまいました。値段はMK60(約40円)。壊れた電球とアルミ板を切って曲げて、アイデア一杯の“アルコールランプ”です。マラウイは電圧が安定しないため、頻繁に電球が壊れてしまいますが、こんな使い方があったとは。今まで簡単に捨ててしまっていたことを悔やみました(>_<)。
マラウイの人たちは本当に物を大切にし、「おっ!」と思うことがしばしばあります。これからも勉強させていただきます< (_ _) >(一礼)。

2009年6月10日水曜日

感動の再会!

私は生まれも育ちも神奈川県の小田原市。
当然小田原市には愛着があるわけだが、そんな私が日本から遠く離れたここマラウイで今日、感動の再会を果たした。それは、私が中学時代にお世話になっていた車である。

私の中学は構内に給食施設がなく、そのため私たちの給食は、小田原市給食センターから毎日ワゴン車で運ばれてきていた。そのワゴン車が、現在ミニバス(乗り合いバス)としてマラウイで活躍していたのである。

最初の偶然の出会いは1年以上前にマラウイの首都から車で5時間ほど南へ向かったブランタイヤに夫と旅行にいったときである。そのときは運転する車の中から発見したため、あっという間にすれ違ってしまい、引き返して探すことができなかった。でもそのことがずっと心残りだったので、今回南部に出かけた帰りにブランタイヤで1泊することにした。

そして今朝、バス発着所で目的のミニバス探しをしていた。通勤時間であったため、アリの行列のようにミニバスが入ってきては、去りと繰り返す中、私はひたすら立ってきょろきょろしていた。親切なミニバスのドライバーたちが「どこへ行くんだ」と何度も聞いてくる。「私はバスを探しているんだ」というと当然、「どこへ行くんだ?」と繰り返す、皆が私の元から去ってくれないので、本当の理由を説明すると時間のあるドライバーが「一緒に探そう」といって特徴や以前見かけた場所、なぜ探したいのか等次から次へと質問してくる。そんなやり取りを繰り返しながら、私は(マラウイで一番栄えているこのブランタイヤでひとつの車を1日で探すのはちょっと無理があったかな)なんて、半ばあきらめながらもマラウイアンとのやりとりを楽しんでいた。

それが探索を始めてから45分程度たったとき、遠くから“小田原給食センター”と大きく書かれたバスが近づいてくるではないか。私は「あれだ!」と叫ぶと同時に走った。それまで一緒に話していたマラウイアンも後から追いかけてくる。私は興奮しながら“小田原市給食センター”のワゴン車を運転するドライバーに「お願い、少しでいいから止まって。この車は私が子どもの頃に日本でお世話になっていた車なの。お願い、お願い。」といい、追いかけてくれたマラウイアンに写真を撮ってくれるように頼んだ。当然、行列を止めたわけだから、後ろのミニバスからも「なんだ、なんだ」と顔をだしてくる。私は集まった人たちに「今日、私はとってハッピーなの」と伝えるとある人から「顔を見ればわかるよ」といわれてしまった。それだけ、興奮してしまった感動の再会であった(*^。^*)

2009年6月6日土曜日

Noelの裏切り(ToT)/~~~

現在、我が家はドライバー募集中!
先日不正を犯したドライバーのNoelが教会で神父さんからお話を受け、反省し、その後、もう二度としないという内容の反省文を書いたにも関わらず、わずか1週間後に、再び無断で私たちの車を使用した。計算すれば簡単に不正が見破られるのに、頭が働かないのか、辞めるつもりでやったのか、理由を聞いても話さないので、悲しいことに私は最後まで彼の心理を理解することができなかった。やさしそうな顔立ちと運転も日ごろの反応ものんびりした彼に、私はまんまと騙されていたのだろうか。

「クリスマス近くに生まれたから僕の名前はNoelなんだ」「神様はいるよ」といっていた彼だけど、彼の神様ってなんなんだろう。宗教的な考え方によっては、貧しいものは裕福なものから乞うのは当然のこと(マラウイのレベルでは日本人は裕福なものに入る)となる。そのため、私たちの話を聞いた何人かの日本人は「彼らは私たちからもらうことは当然と思っているから反省なんてできないよ」という。本当に、彼らには要求してもらうことと、相手を騙して奪うことの違いが理解できないないのか。私はそうは思いたくない。でも私はその違いを彼が理解できるまで話し合うことができなかった。1日に18kmも無断で運転をし、反省後の車の燃費がたったの2.5km/ℓになったのを目の当たりにし(どこかで車からガソリンを抜き取っていたと思われる)、あきれ果ててしまったと同時に、見切りをつけてしまった。

彼を解雇するときの最後の反応をみて、私は夫に「彼はきっとまた同じ過ちを繰り返すと思う」というと夫の受けた印象も同じだったという。なんだか悲しい出来事だった。

付け加えておくが、決して「これがマラウイ」なのではない。マラウイ人のドライバーの中には1分でも遅刻をすれば連絡をする人、挨拶をきちんとできる人、辞める前に事前に相談する人、そして毎日真面目に働いている人はたくさんいる。そういう人が成功する社会であってほしいな。ちなみに私の家のお手伝いさんは一押し!

2009年6月5日金曜日

いってきましたZambiaPart2(学会編)!

待ちに待ったこの日が来た。当初3日間の予定の学会が5日ほど前に2日間に変更との連絡を受け、本当に開催されるか当日まで誰もが疑っていた。しかし、とうとう開催されたのである。(国内参加者の3倍の参加費を払った私は、開催日数の変更に参加費が反映されず、少し悲しかったが、、。)



1日目
Session1は保健省の理事を筆頭に開催の挨拶であった。ティータイム後のSession2ではマラウイの栄養とエイズ省の省長であるDr. Mary Shawaが食糧と栄養に関するアフリカの現状を説明し、次にマラウイでの経験とアジェンダについて話されていた。彼女は政府や各援助機関、NGOが同じ問題に対してバラバラに取り組むのではなく、ともに協力し合うことの重要性を唱えていた。これはまさに現在、国際開発のなかで“援助協調”として取り組まれていることであり、私にとって大変興味深かった。残念ながら私の聞き落としか、今後始まるということなのか、具体的内容については不明であった。

昼食後は展示ブースを見学し、その後は会場が“食糧栄養政策”と“栄養と健康”という2テーマに分かれていたので、私は後者の会場に参加した。


2日目
Session1は都合により逃すものの、Session2ではDr.Drinahのザンビアの栄養素摂取量の推奨量(RDAs)についての研究が発表された。次に、Ministry of Education の方からパイロット校での栄養授業の取り組みが紹介され、充実した教科書に感心した。午後、すべての発表が終わった後は、分野ごとにワークショップが行なわれた。英語の苦手な私は、人前で意見を言うことができずに、残念ながら聞き手に徹した。

ザンビアには修士や博士が取れる栄養士養成校がなく、上を目指す人はマラウイなどで学ぶようであるが、栄養士の配置や乳幼児の栄養摂取策など政府の取り組み自体はマラウイよりもしっかりしているように感じられた。また、学会という非日常の場であるからか、ザンビア栄養士の方たちのプロ意識も高い。学会期間中、マラウイの栄養部門のトップであるDr. Mary Shawaに「私はマラウイで栄養士としてボランティアをしているが、マラウイでも将来このような学会が開催され、栄養士たちが情報を共有する機会ができたら嬉しい。」と伝えたところ、彼女ももちろん同意してくれた。初めての海外での学会の参加は、その発表内容に疑問があるのか、自分の理解不足により疑問が発生しているのか等、得られた情報があやふやで自分の考えをうまく構築することが難しかったが、ザンビアの現状が知れ、栄養士の知り合いが増え、良い機会だったと思う。

もう一度、ザンビアに行くことを許してくれた夫と夫の職場の上司に感謝!

2009年6月1日月曜日

いってきましたZambiaPart2(道中編)!

前回のザンビア旅行の本来の目的であったザンビア食糧栄養学会(National Food and Nutrition Symposium)に参加するために、再びザンビアを訪れた。しかし、今回は飛行機で2時間というわけにはいかず(さすがに1ヶ月に1度のペースで海外旅行は厳しい。なんと航空運賃は陸路の10倍!)、栄養士の友人と陸路にてザンビアの首都Lusakaを目指した。

27日の朝5時半にマラウイの首都を出発し、7時20分、国境に到着した。ここまでの道のりはドライバーに依頼し、マイカーを使用したので楽勝である。そして国境のイミグレーションもガランとしており、あっさり通過。しかし、ここから先は長距離バスのバス停がある最初の町までタクシーをひろわなければならない。

そこで、国境で声をかけてきた両替商にMK(マラウイクワッチャ)をZK(ザンビアクワッチャ)に両替してもらった。事前に入手したレートは、MK1=ZK30ということであったので、言い値の×26から×28まであげてなんとか交渉成立。しかし、桁数の多いZKを利用し、悪巧みをしようとする両替商に私たちはうまく踊らされてしまった。

彼らは、最初に1桁少ない額を渡してきたので、それを指摘すると7枚渡したはずのお札を5枚返してきてチャラにしようとしたり、お釣りがないからとZKを少し多く渡してきて、計算式を変えて足りないMKを要求してきたり、私たちの頭を混乱させた。なんとか私は最初の交渉額を受け取ったのだが、よく見ると友人のお金が足りない、、。「あっ」と思ったときには、彼女の交渉した両替商が姿を消していた。私は自分が交渉した両替商に「仲間なんだからあなたが払って」といったが彼は白を切るし、私たちが交渉した場所が国境ギリギリのザンビア側だったため(これも彼らの手口のひとつと思われる)、一番近くにいたマラウイ警察官に相談しても「何もできない」といわれた。悔しいのでもう一度、私の両替商のところに行き少し脅してみた。デジカメを取り出し「とりあえずあなたの顔写真を撮っておく。」と言ったところ、彼はそれを拒み「OK、半分僕が負担するから、それで勘弁してよ」といって被害額の半分を彼女に渡した。「ん、、?」「ちょっと待ったーっ!なんであんたが被害額を知ってるのよ!」と友人がすかさず反応。両替商が自分からしっぽをだしてくれたおかげで、彼から無事被害額を返金してもらった。ふー(-。-)y

次のタクシー乗車は、声を掛けてきたドライバーに事前に入手した相場ZK50,000-前後を目安に、ZK45,000-で交渉成立、20分後にバス停に到着。と思ったら大型バスがバス停から去ろうとしているではないか!これを逃したら1-2時間は軽く待たされる。私たちは叫んでバスを止め、急いで飛び乗った。再び、ふー(-。-)y

そうして、一番の難関と思われていた長距離バスも無事に出発し(乗客が満員近くにならないと突然そのバスの出発がキャンセルになることもあるとか)、自分たちの幸運を喜んだのも、つかの間、添乗員が乗車賃の回収にきて思わずびっくり!私たちはレートの悪い国境での両替を少しにして、乗車前にバス停で両替をしようと計画したためにZKの手持ちが余りにも少なかった。友人は乗車賃のZK115,000を何とか払えたのだが、私はZK90,000しか持っていなかったのである。私はレートを計算してUS$21で支払えるか相談したのだが、添乗員はドル払いならUS$30だという。そんなわけがない。そんなの彼のポケットマネーになるのは目に見えており、あの手この手で交渉していたところ、乗車の確認ポイントになったらしく、新たに添乗員マネージャーが乗車してきた。乗客の切符を確認している彼に私が事情を説明すると、彼は「今回は荷物代のZK15,000を割引してあげるから、友人に返金するZK15,000のうちZK10,000をあなたが借りて、今自分が持っているZK90,000と一緒に支払しなさい。」といってくれたではないか。交渉してみるものだ。それにより無事切符も手にして一件落着。またまた、ふー(-。-)y

順調に進むバスの中で私たちは、当初の予定では夕方18時にルサカに着くと思っていたけど、このバスに乗れたおかげで16時には着きそうだと期待し始めていた。出発から1時間後、「ガツンッ!キキー」衝撃音とともに車体が大きく横揺れし、停車した。車体が揺れた瞬間、乗客から「神様!」という叫び声が聞こえ、バスが止まった後も私の心臓はバクバクしていた。なんと飛び出してきた自転車に乗った男性をそのバスがはねてしまったのである。生まれて初めての経験に心臓がバクバクしっぱなしだ。乗客が次から次におり始め、男性の元に向かった。私の目に意識のある男性が見えたため、少し動揺が収まったが、彼はどうやら足を骨折したらしい。バスに彼を寝かして次の町の警察と病院に向かった。そこでは、ドライバーが2時間半も警察に連れて行かれてしまったため、乗客はバスで待機となった(そんなバカな)。」

ザンビア人は待つことなどお手のものなのか、添乗員とともに待機の姿勢に入った。皆好き勝手に食糧を入手したり、トイレに行ったり、近くの者は乗り合いタクシーで去っていった。お金のない私たちは一房20円ばかりのバナナも我慢し、これからどうなるのかと不安であった。しかーし!停車してから1時間後、私たちのもとに救世主が現れた。友人が話しかけ仲良くなったインド人がUS$をZKにとても良いレート(私が先月使った銀行レートを採用、後に今月より良かったことが判明)で交換してくれ、その後に携帯電話も無料で貸してくれた。彼のおかげで私たちは、ルサカで待つ他の栄養士の友人にスムーズに会うことができた(彼とは偶然帰りのバスも一緒。彼はこの旅の救世主にまちがいない!)。

待機中に購入したバナナやオレンジ、ジュースを少しずつ消費し、夜の19時半、バスに乗車してから11時間半後、家を出発してから14時間後、無事友人の待つルサカに到着。いつ着くかわからなかったバスをルサカで待ち続けてくれた友人の笑顔が天使のように感じられた瞬間である。尚且つ彼女は、お腹を空かせた私たちをマラウイにはない“しゃぶしゃぶ食べ放題”に連れて行ってくれたのである。七転び八起き。人生いろいろあるけど、最後はしあわせが待っている(^_^)v