夫が約2年間の任務を終わらせ、共に帰国しました。
思い起こせばこの2年間、ブログに書ききることができないほど本当にいろいろなことがありました。英語の苦手な私は最初の頃あいさつもろくにできず、伝えたいことも伝えられず悔しい思いもしました(今でも苦手ですが。。。^_^;)そして、生活に少し慣れてきた3ヶ月目、初めての旅行先で事故に遭い、その後の6ヵ月間はリハビリ中心の生活でした。
まだ、マラウイ生活を1年も過ぎない頃、月に1度楽しみにしていたアジア婦人の会の代表となり、それまで付かず離れずしていた日本人社会とも近くなった気がします。会をまとめるなかで、多くのことを学ぶことができました。
また、ミシンの使い方もわからなかった私が、友人の開催するソーイング教室に毎週通いました。最初の作品が「ぞうきん」だった私が、最後には夫のパジャマや自分のデザインするスカートまで作れるようになりました。これも、懇切丁寧に教えてくれたMさんのお陰です。ありがとうございました。
1年10ヶ月間、通ったマザーテレサの家の孤児院、たくさんの子どもたちに囲まれ、愛らしい目で見つめられ、私自身が子どもたちから多くの愛情をもらった気がします。
1年5ヶ月間、週1回家に英語を教えに来てくれたフェニー、同年代ということもあり、一緒に旅行したり、ご飯を食べたり、泊まりに行ったり、そしてマラウイの文化や現状をたくさん教えてもらい、マラウイの問題についてもたくさん話し合いました。
自分が栄養士としてボランティアができる場所が探せずにあきらめていた赴任1年後、アメリカのNGOでマラウイに赴任してきた方が私の経験を受け入れてくださり、一緒に活動することができました。教材作りが途中までしか出来なかったのは心残りですが、将来、完成品をみるのが楽しみです。
2年間、家を守ってくれたお手伝いのグレイさん、アイロンがけは超一流でした。帰国前に習おうと思っていたのに、バタバタとしてまったくできずに残念でした。そして、ドライバーながら美味しい豆腐を毎週作ってくれたマイケル、ありがとうね。
2年間、もうお腹一杯、しばらくいいわ(笑)。と思えるほど楽しく充実した日々をマラウイで送ることができました。これも夫をはじめ、支えてくださった皆さんのお陰だとつくづく思います。これからも遠くから、マラウイの方々の幸せを祈っています。ありがとうございました。
2009年12月7日月曜日
船便出発
1週間後に日本に帰国し年末年始を過ごした後、来年からスリランカへの赴任が決まった。今日は、スリランカに送る荷物をいくつかまとめたので、私たちより一足早く!?荷物が出発である。
夫の職場の方が通常使用するアナカンはヒトと荷物の目的地が同じでなければ使用不可とのことで、日本に一旦帰る私たちは郵便局の船便(飛行機便なし!)を選択した。郵便局員が言うには「3週間で着く」とのことだが、果たして本当だろうか(-_-)! ましてもうすぐクリスマス、3週間後と言わなくても、せめて私たちがスリランカに赴任して少し落ち着く頃の2ヵ月後くらいに到着してくれることを願う。
それでも、マラウイに赴任する前にスリランカに赴任していた友人に言わせると「マラウイからスリランカに物を送ったら後悔するで」とのこと。そう、スリランカは何でも手に入りしかもマラウイよりも日本よりも安いらしい。“のりたけ”などの食器は日本の物をスリランカで作っているので、良質でしかも安いという。うーん、その一言でかなりスリランカに荷物を送ることを悩み詰め直し、最終的に日本から持ってきた思い出の食器に絞った。ということで、箱の中身はほとんど本やDVD、CDなど日本のもの、そしてここで一目ぼれした木彫りたちである♪
では、スリランカでの再会を願って、いってらっしゃい\(^o^)
夫の職場の方が通常使用するアナカンはヒトと荷物の目的地が同じでなければ使用不可とのことで、日本に一旦帰る私たちは郵便局の船便(飛行機便なし!)を選択した。郵便局員が言うには「3週間で着く」とのことだが、果たして本当だろうか(-_-)! ましてもうすぐクリスマス、3週間後と言わなくても、せめて私たちがスリランカに赴任して少し落ち着く頃の2ヵ月後くらいに到着してくれることを願う。
それでも、マラウイに赴任する前にスリランカに赴任していた友人に言わせると「マラウイからスリランカに物を送ったら後悔するで」とのこと。そう、スリランカは何でも手に入りしかもマラウイよりも日本よりも安いらしい。“のりたけ”などの食器は日本の物をスリランカで作っているので、良質でしかも安いという。うーん、その一言でかなりスリランカに荷物を送ることを悩み詰め直し、最終的に日本から持ってきた思い出の食器に絞った。ということで、箱の中身はほとんど本やDVD、CDなど日本のもの、そしてここで一目ぼれした木彫りたちである♪
では、スリランカでの再会を願って、いってらっしゃい\(^o^)
2009年12月6日日曜日
最後のマラウイゴルフコンペ
今月、私たち夫婦ともう一人の職場の方が帰国するため、フェアウェルゴルフコンペを開催してもらった。私はCチーム。今日のハンディキャップは夫婦揃って15をもらった。少し曇り空ではるが、暑いこの時期には最高の天候であった。
一打目から先ず先ずの当たりで、気持ちよくスタートした。今日はパーを取れなかったものの、ボギー、Wボギーと比較的安定し、out 53/ in 53、トータル106という満足のいく結果であった。
さて、全員が終了後の結果発表「もしかしたら3位くらいは取れるかな~」と思っていたら、最後になんと“優勝”してしまった。思い起こせば、最初に参加したゴルフコンペはルールも打ち方も知らずに180も叩いてしまったが、この2年弱でよく成長しました(笑)。一緒に遊んでくださった皆様、ありがとうございました(*^。^*)
一打目から先ず先ずの当たりで、気持ちよくスタートした。今日はパーを取れなかったものの、ボギー、Wボギーと比較的安定し、out 53/ in 53、トータル106という満足のいく結果であった。
さて、全員が終了後の結果発表「もしかしたら3位くらいは取れるかな~」と思っていたら、最後になんと“優勝”してしまった。思い起こせば、最初に参加したゴルフコンペはルールも打ち方も知らずに180も叩いてしまったが、この2年弱でよく成長しました(笑)。一緒に遊んでくださった皆様、ありがとうございました(*^。^*)
2009年12月5日土曜日
食事会@日本大使公邸
マラウイは日本人在住者が200人ほどしかおらず、日本人会や日本人学校もない。そして日本大使館は昨年開館したばかりなのである。私は夫の仕事の立場上、そして自分自身も先月までアジア婦人の会の代表を務めていたことがあり、これまで別世界と思っていた大使公邸へは幾度となく足を運んだ。
今回は、もうすぐ帰国する4家族の送別会として、大使&大使夫人がなんと私たち家族を食事に招いてくださったのである。マラウイでは日本人同士のネットワークが小さいので、気軽に公邸に出入りしてしまったが、他の国であれば日本大使などは遠い存在で、あまりお見かけする機会はないのだと思う。
素敵な招待状をいただいた夫と私は、おめかしをして出席させていただいた(^_-)-☆この公邸のシェフは、某プリンスホテルで料理長をしていた方である。イタリアンが専門のシェフであり、イタリアンサラダ、トマトのポタージュ、フォアグラとバジルのパスタ、ヒレカツ、デザートとどれも素敵に盛り付けされ、日本のレストランのようであった。大使と大使夫人とも国際援助のこと、マラウイのこと、今後の進路のことと多くのトピックがあり、話が尽きることなく最後まで楽しく過ごすことができた。
貴重な思い出をありがとうございましたm(_ _)m
今回は、もうすぐ帰国する4家族の送別会として、大使&大使夫人がなんと私たち家族を食事に招いてくださったのである。マラウイでは日本人同士のネットワークが小さいので、気軽に公邸に出入りしてしまったが、他の国であれば日本大使などは遠い存在で、あまりお見かけする機会はないのだと思う。
素敵な招待状をいただいた夫と私は、おめかしをして出席させていただいた(^_-)-☆この公邸のシェフは、某プリンスホテルで料理長をしていた方である。イタリアンが専門のシェフであり、イタリアンサラダ、トマトのポタージュ、フォアグラとバジルのパスタ、ヒレカツ、デザートとどれも素敵に盛り付けされ、日本のレストランのようであった。大使と大使夫人とも国際援助のこと、マラウイのこと、今後の進路のことと多くのトピックがあり、話が尽きることなく最後まで楽しく過ごすことができた。
貴重な思い出をありがとうございましたm(_ _)m
2009年12月4日金曜日
オイルショック
11月5日、夫の会社から「ディーゼルが無くなるらしい」と連絡を受けてから早1ヶ月が経過した。これまでも数回このような経験があったのだが、1週間ほどで解消されていたので、当初はさほど問題にしていなかった。それが今回は、かなり深刻な問題となった。
大本の原因は、マラウイ国内のUSDが不足し、燃料を購入できなくなってしまったとのこと。この国のマラウイクワッチャは海外では紙切れ同然、まったく価値をなさないのである。
そして11月末、ディーゼルのみならずガソリンまでもが不足し、とうとう新聞にマラウイのオイルショックの記事が掲載された。ガソリンを購入するために、ガソリンスタンドでポリタンクを持って眠る人たちの写真もある。今週、家のドライバーにガソリンスタンドの列に並んでもらったのだが、4時間ほど並んで、たったの5リットルしか買わせてもらえなかった。ほんの3日ほど前に満タンにしてもらい、念の為並べるときに並ばせたつもりが、事の重大さに驚きである。
友人は、量の規制が始まったのをいち早くキャッチし、お手伝いさんとドライバーの二人に朝6時から並んでもらい、2人分確保したとのこと。おみごと!並んでいる手間隙を考えたら、ポリタンクで商売を始めた人から倍の値段でも購入する気でいたのだが、そのような、いわゆる闇の販売では水を入れられるときがあり、後のエンジンの寿命にかなり影響するというので、躊躇してできなくなってしまった。
今週は、ガソリン節約のためでできるところは徒歩&ミニバスで対応して乗り切った。夫の職場では集団出勤&帰宅で同僚と協力を始めた。昨日からはポリタンクでの購入は危険であり、政府から禁止令がでたために、並んだ車のみへの販売となった。そのため、ガソリンタンクが来る前日からガソリンスタンドには車の長い列がある。
来週は帰国前の最後の1週間、毎日外出しなければならない状態では、車も並ばせられない。最後の手段はガソリンの入ったレンタカーを使うしかなさそうだ。最後の最後まで悩ませてくれるマラウイである。
大本の原因は、マラウイ国内のUSDが不足し、燃料を購入できなくなってしまったとのこと。この国のマラウイクワッチャは海外では紙切れ同然、まったく価値をなさないのである。
そして11月末、ディーゼルのみならずガソリンまでもが不足し、とうとう新聞にマラウイのオイルショックの記事が掲載された。ガソリンを購入するために、ガソリンスタンドでポリタンクを持って眠る人たちの写真もある。今週、家のドライバーにガソリンスタンドの列に並んでもらったのだが、4時間ほど並んで、たったの5リットルしか買わせてもらえなかった。ほんの3日ほど前に満タンにしてもらい、念の為並べるときに並ばせたつもりが、事の重大さに驚きである。
友人は、量の規制が始まったのをいち早くキャッチし、お手伝いさんとドライバーの二人に朝6時から並んでもらい、2人分確保したとのこと。おみごと!並んでいる手間隙を考えたら、ポリタンクで商売を始めた人から倍の値段でも購入する気でいたのだが、そのような、いわゆる闇の販売では水を入れられるときがあり、後のエンジンの寿命にかなり影響するというので、躊躇してできなくなってしまった。
今週は、ガソリン節約のためでできるところは徒歩&ミニバスで対応して乗り切った。夫の職場では集団出勤&帰宅で同僚と協力を始めた。昨日からはポリタンクでの購入は危険であり、政府から禁止令がでたために、並んだ車のみへの販売となった。そのため、ガソリンタンクが来る前日からガソリンスタンドには車の長い列がある。
来週は帰国前の最後の1週間、毎日外出しなければならない状態では、車も並ばせられない。最後の手段はガソリンの入ったレンタカーを使うしかなさそうだ。最後の最後まで悩ませてくれるマラウイである。
2009年11月16日月曜日
ゴルフ合宿
今週、夫の同僚のゴルフ愛好家が任期を終えるため、週末に職場の同僚6人(当初7人の予定が仕事のトラブルで当日一人キャンセルに、残念(*_*; )で南部のブランタイヤ&リンベゴルフツアー2泊3日の旅に出かけた。
先ず、有給がとれた二人と私が金曜日の朝から出発!あいにく外気温が33℃を越えると冷房が効かなくなる車内は、サウナ状態であった(@_@;)この日は特に暑く最高37℃まで外気温が上がった。窓を開けても熱風である。
車の中でへとへとになったものの、皆ゴルフは別体力\(^o^)/到着するとすぐにゴルフ場に向かった。アップダウンが激しく、ウォーターハザードがやたらに多いこのゴルフ場、悪戦苦闘しながらの18ホール(9ホールを2回)であった。
夕食後、ホテルに戻って即行眠りについた一同は、翌日の土曜日、朝6時集合で再びゴルフ場に向かった。9ホールと程よい運動を終え、ホテルに戻り遅めの朝食をいただいた。その後、夫と私はのんびり午後まで休憩をしたのだが、前日からはりきっていた二人はショッピングとマッサージに出かけたのである。
午後、6人全員が揃ったところでゴルフ場へ。んっ!?前日から張り切っていた二人の様子がオカシイ。マッサージにより筋肉をほぐされてしまった二人は身体がトロけた状態で18ホールを回ったのである。お疲れ様ですm(_ _)m
最終日、ブランタイヤから車で15分ほどのところにあるリンベの町のゴルフ場に向かった。9ホールしかなく、しかも比較的平坦なコースである。ブランタイヤに比べると少し物足りなさを感じるものの、途中で町並みを見下ろすこともでき、景色を楽しみながらのゴルフであった。本日の優勝は昨日の午後から絶好調の夫がゲット、6位の方にランチをご馳走になっていた。
私は最終日5位であったが、2日目に初のバーディーをとり、9ホールの合計スコアーが52などなかなか調子のよい3日間であった♪それにしても、3日で63ホールは学生の合宿並みである。
教訓: マッサージは運動が終わった後にいきましょう!
先ず、有給がとれた二人と私が金曜日の朝から出発!あいにく外気温が33℃を越えると冷房が効かなくなる車内は、サウナ状態であった(@_@;)この日は特に暑く最高37℃まで外気温が上がった。窓を開けても熱風である。
車の中でへとへとになったものの、皆ゴルフは別体力\(^o^)/到着するとすぐにゴルフ場に向かった。アップダウンが激しく、ウォーターハザードがやたらに多いこのゴルフ場、悪戦苦闘しながらの18ホール(9ホールを2回)であった。
夕食後、ホテルに戻って即行眠りについた一同は、翌日の土曜日、朝6時集合で再びゴルフ場に向かった。9ホールと程よい運動を終え、ホテルに戻り遅めの朝食をいただいた。その後、夫と私はのんびり午後まで休憩をしたのだが、前日からはりきっていた二人はショッピングとマッサージに出かけたのである。
午後、6人全員が揃ったところでゴルフ場へ。んっ!?前日から張り切っていた二人の様子がオカシイ。マッサージにより筋肉をほぐされてしまった二人は身体がトロけた状態で18ホールを回ったのである。お疲れ様ですm(_ _)m
最終日、ブランタイヤから車で15分ほどのところにあるリンベの町のゴルフ場に向かった。9ホールしかなく、しかも比較的平坦なコースである。ブランタイヤに比べると少し物足りなさを感じるものの、途中で町並みを見下ろすこともでき、景色を楽しみながらのゴルフであった。本日の優勝は昨日の午後から絶好調の夫がゲット、6位の方にランチをご馳走になっていた。
私は最終日5位であったが、2日目に初のバーディーをとり、9ホールの合計スコアーが52などなかなか調子のよい3日間であった♪それにしても、3日で63ホールは学生の合宿並みである。
教訓: マッサージは運動が終わった後にいきましょう!
2009年11月12日木曜日
今日の失敗パートⅡ
師走のように忙しかった10月が終わり、完全に気が緩んだ様である。今までにしたことがない失敗をまたしてしまった。
夕方、ランニングがしたくなったので、道具一式をもってキャピタルホテルのジムに行った。すると、違う種類の指つき靴下をしかも右側だけもってきてしまった。左右違う上に、指つきなので逆の足に履くには裏返しにするしかなかった。
そして、誰にも気づかれないように急いで運動靴に履き替えた。もちろん柔軟も靴を履いたまま。あー恥ずかしい。任期も残り1ヶ月。気が緩みすぎて失敗を繰り返さないように、少し気を引き締めなければ。
夕方、ランニングがしたくなったので、道具一式をもってキャピタルホテルのジムに行った。すると、違う種類の指つき靴下をしかも右側だけもってきてしまった。左右違う上に、指つきなので逆の足に履くには裏返しにするしかなかった。
そして、誰にも気づかれないように急いで運動靴に履き替えた。もちろん柔軟も靴を履いたまま。あー恥ずかしい。任期も残り1ヶ月。気が緩みすぎて失敗を繰り返さないように、少し気を引き締めなければ。
2009年11月10日火曜日
今日の失敗(+o+)
今日は、パソコン機器の修理店(残り任期1ヶ月というときにプリンターが故障。。。)、孤児院のボランティア、中古車販売所(我が家の車を売るため)、スーパー数件をはしごして我が家に帰宅。
そうして洗面所で自分の顔を見てびっくり!まっまゆ毛がない。今朝、ファンデーションまでしたのだが、最後まで化粧を終わらせずに出かけてしまったらしい。夫が昨日から1週間出張のため、確かにいつもの朝とリズムは違ったのだが、なんでこんな中途半端なところで終了しているんだ(―_―)!!もともと薄い上にファンデーションで消えてしまったまゆ毛によって、私の顔はかなり不細工であった。
あー今日1日知り合いに会わなくてよかった(孤児院ではだれも突っ込みをいれてくれなかったが)。もしこの失敗を日本でしていたら、通勤電車で赤っ恥をかくところでした。
そうして洗面所で自分の顔を見てびっくり!まっまゆ毛がない。今朝、ファンデーションまでしたのだが、最後まで化粧を終わらせずに出かけてしまったらしい。夫が昨日から1週間出張のため、確かにいつもの朝とリズムは違ったのだが、なんでこんな中途半端なところで終了しているんだ(―_―)!!もともと薄い上にファンデーションで消えてしまったまゆ毛によって、私の顔はかなり不細工であった。
あー今日1日知り合いに会わなくてよかった(孤児院ではだれも突っ込みをいれてくれなかったが)。もしこの失敗を日本でしていたら、通勤電車で赤っ恥をかくところでした。
2009年11月9日月曜日
マラウイの花
マラウイのお花屋さんは花の種類が極端に少なく、ひどいときだとバラと飾り用の葉が数種類しか入手できない。それに比べると庭先や道路わきの木々は年間を通して私たちの目を本当に楽しませてくれるのである♪
先ず、マラウイアンに最も人気が高いのは“ジャカランダ”の花である。原産は熱帯アメリカであり、私がグアテマラに住んでいた頃も人々から愛されていた。マラウイでは9月から10月にかけて見事な紫色の花を咲かしている。マラウイの中央銀行の前などは、本当に桜並木のようで美しい(残念ながらマラウイでは政府系の建物の撮影は禁止されているので、ベストスポットで撮ることができなかったが)。
そのジャカランダが終わりに近づく頃、選手交代!と言わんばかりに火炎樹の真っ赤な花が咲き誇る。そう、丁度今の時期が最高である。私の家の近所は本当にたくさんの火炎樹の木々が並んでいる。



そして同じ時期に、名前は知らないが木のうえにたくさんのブーケが乗っかっているような花を咲かせる木がある。色は濃いピンクから薄い黄色と様々である。これがまた、これでもかというほどたわわに花を咲かせ、その色の付き加減がたまらなく可愛いのである。週末お客さんを我が家に招待したので、そのブーケのような花を食卓に飾ろうと、庭の花を刈ろうとしたら、思いっきり太い枝を折ってしまった\(+o+)/ということで、枝ごと玄関先に飾ることにした。ココナッツに似た甘い香りは通り過ぎるときに、思わずドキッ☆としてしまう。
そして、最後はまっ黄色の花を咲かせる木である。夫の出勤途中にずらっと並んでおり、またゴルフ場にもたくさんあるのだが、開花時期は新年が明けた頃である。来月帰国の私たちは、どうやらみることはできないだろう。。。

先ず、マラウイアンに最も人気が高いのは“ジャカランダ”の花である。原産は熱帯アメリカであり、私がグアテマラに住んでいた頃も人々から愛されていた。マラウイでは9月から10月にかけて見事な紫色の花を咲かしている。マラウイの中央銀行の前などは、本当に桜並木のようで美しい(残念ながらマラウイでは政府系の建物の撮影は禁止されているので、ベストスポットで撮ることができなかったが)。
そのジャカランダが終わりに近づく頃、選手交代!と言わんばかりに火炎樹の真っ赤な花が咲き誇る。そう、丁度今の時期が最高である。私の家の近所は本当にたくさんの火炎樹の木々が並んでいる。


そして同じ時期に、名前は知らないが木のうえにたくさんのブーケが乗っかっているような花を咲かせる木がある。色は濃いピンクから薄い黄色と様々である。これがまた、これでもかというほどたわわに花を咲かせ、その色の付き加減がたまらなく可愛いのである。週末お客さんを我が家に招待したので、そのブーケのような花を食卓に飾ろうと、庭の花を刈ろうとしたら、思いっきり太い枝を折ってしまった\(+o+)/ということで、枝ごと玄関先に飾ることにした。ココナッツに似た甘い香りは通り過ぎるときに、思わずドキッ☆としてしまう。
そして、最後はまっ黄色の花を咲かせる木である。夫の出勤途中にずらっと並んでおり、またゴルフ場にもたくさんあるのだが、開花時期は新年が明けた頃である。来月帰国の私たちは、どうやらみることはできないだろう。。。
2009年11月2日月曜日
☆結婚記念日☆
11月2日、私たちが入籍してから2年が経ちました。この結婚記念日、夫の両親と同じ日に決めたのだが、まだ一度も一緒にお祝いができていません。いつか4人でお祝いするのが私のささやかな夢なのです。(夫が両親の結婚記念日を2日間違えて覚えていたので、危うくなんでもない日に設定するところでした(>_<) が、ぎりぎりセーフ(^o^)丿)
私たちの2年間はほんとあっという間、これからも身近な先輩を見習って夫婦で支えあって楽しく過ごしていきたいです。これからもよろしくねm(_ _)mということで、今から2人でちょっとリッチにお食事にいってきまーす☆
私たちの2年間はほんとあっという間、これからも身近な先輩を見習って夫婦で支えあって楽しく過ごしていきたいです。これからもよろしくねm(_ _)mということで、今から2人でちょっとリッチにお食事にいってきまーす☆
2009年10月31日土曜日
チャリティーバザー
今日は朝から曇り空、雨が降らないことを祈りつつ会場に向かうと、同じブースのほとんどの方が準備を始めていた。皆はりきっている様子。私たちの準備したテントが小さかったために、半分ほどのメンバーがテントの外になってしまった。運よく曇り空ではあるが、焼きそば、焼き鳥、サータアンダギーと火を使う私たちがテントの外になってしまい、ますます雨が降らないことを祈るしかなかった。
9時のスタートとともに、私ははりきってスイーツの行商にむかった。ひとつひとつのブースに挨拶に行き、会話が弾めばその場で商品を購入してもらえた。楽しみながら売り上げが伸びるとは、まさに一石二鳥である(^_-)-☆ 先ずは第一弾、ほぼ空になったカゴをぶら下げて足軽に自分たちのブースに戻ることができた。
その他には、寿司と緑茶、焼きそばと焼き鳥と販売していたが、どれも順調にお客さんをゲットできた。さすがに世界的な寿司ブームだけあり、寿司は昼前に完売である。またお昼が近づくと焼きそば、焼き鳥には行列ができたではないか。マラウイに日本食料理屋がない分、会場にきたお客さんは日本食に舌鼓(^v^)やっぱりお客さんの喜んだ顔をみるのが一番嬉しい瞬間である♪
チャリティーバザー全体では、今年は昨年よりもプログラムが多く組まれており、マラウイや中国、韓国、日本(エイサー&相撲)などが、それぞれパフォーマンスをしていた。ラッキーなことに私たちのブースはその正面に位置していたので、見学しながら販売もできた。本当にあっという間の1日であった。
最後に片付けを終え、スイーツ部門のスタッフで我が家に集合した。売り上げを計算すると私たちだけでMK12000の寄付金を集めることができた。あらためてイベントの効果ってすごい!と思ってしまった。これらの寄付金がマラウイのために有意義に使われますように!
9時のスタートとともに、私ははりきってスイーツの行商にむかった。ひとつひとつのブースに挨拶に行き、会話が弾めばその場で商品を購入してもらえた。楽しみながら売り上げが伸びるとは、まさに一石二鳥である(^_-)-☆ 先ずは第一弾、ほぼ空になったカゴをぶら下げて足軽に自分たちのブースに戻ることができた。
その他には、寿司と緑茶、焼きそばと焼き鳥と販売していたが、どれも順調にお客さんをゲットできた。さすがに世界的な寿司ブームだけあり、寿司は昼前に完売である。またお昼が近づくと焼きそば、焼き鳥には行列ができたではないか。マラウイに日本食料理屋がない分、会場にきたお客さんは日本食に舌鼓(^v^)やっぱりお客さんの喜んだ顔をみるのが一番嬉しい瞬間である♪
チャリティーバザー全体では、今年は昨年よりもプログラムが多く組まれており、マラウイや中国、韓国、日本(エイサー&相撲)などが、それぞれパフォーマンスをしていた。ラッキーなことに私たちのブースはその正面に位置していたので、見学しながら販売もできた。本当にあっという間の1日であった。
最後に片付けを終え、スイーツ部門のスタッフで我が家に集合した。売り上げを計算すると私たちだけでMK12000の寄付金を集めることができた。あらためてイベントの効果ってすごい!と思ってしまった。これらの寄付金がマラウイのために有意義に使われますように!
2009年10月30日金曜日
チャリティーバザー準備
ここマラウイでは、年に1度大きなチャリティーバザーが開催される。夫の職場も毎年出展しているため、私は今回で2度目の参加となった。
なぜかマラウイで何かに参加すると、役員のようなものを仰せつかってしまう私は、今回も書記として1ヶ月前ほどから打合せを重ねるなど準備に取り掛かった。どうも、自由奔放にいると暇にみえてしまうのかもしれない。。。(-。-)
昨年の担当は緑茶だったが、今回はスイーツ部門担当となり、沖縄出身の方が提案したサータアンダギー(沖縄の揚げドーナツ)と私が提案したキャラメルポップコーンを販売した。なぜ、日本人がキャラメルポップコーン?と思うかもしれないが、以前北部のムジンバのバス停で屋台を開いたときに好評だったことと、手間が掛からない割に利益率が高いことから(7月のブログに掲載)、純粋に寄付金を集めるための選択である。
前日は午前中から、友人宅で上述した商品の調理に取り掛かった。材料を購入するに当たり、MK465/kgとMK90/kgのとうもろこしのどちらを使うか悩み、数日前に友人らに比較してもらったのだが、それでも迷っていた。結局前日も、両方を作成し最後に4:1くらいの割合で高品質なものと低品質なものを混ぜて使用した。
またキャラメルの作成も、インターネットで美味しいキャラメルポップコーンの作り方を検索すると、牛乳を入れるものがあり試作をしたのだが、味がマイルドになった分、香ばしさがぼけた感じになってしまったり、直接ポップコーンを弾かせるときに砂糖を投入するやり方を試みると、ムラができてしまったりで、最終的に砂糖を焦がして水を少し加える通常のカラメルソースの作り方に落ち着いた。
そんなこんなでおしゃべりをしながらの準備で、あっという間に日も暮れてしまったので、最後は家に持ち帰り、夫と一緒にパック詰めである。仕事から疲れて帰ってきたのにごめんなさい^_^;
なぜかマラウイで何かに参加すると、役員のようなものを仰せつかってしまう私は、今回も書記として1ヶ月前ほどから打合せを重ねるなど準備に取り掛かった。どうも、自由奔放にいると暇にみえてしまうのかもしれない。。。(-。-)
昨年の担当は緑茶だったが、今回はスイーツ部門担当となり、沖縄出身の方が提案したサータアンダギー(沖縄の揚げドーナツ)と私が提案したキャラメルポップコーンを販売した。なぜ、日本人がキャラメルポップコーン?と思うかもしれないが、以前北部のムジンバのバス停で屋台を開いたときに好評だったことと、手間が掛からない割に利益率が高いことから(7月のブログに掲載)、純粋に寄付金を集めるための選択である。
前日は午前中から、友人宅で上述した商品の調理に取り掛かった。材料を購入するに当たり、MK465/kgとMK90/kgのとうもろこしのどちらを使うか悩み、数日前に友人らに比較してもらったのだが、それでも迷っていた。結局前日も、両方を作成し最後に4:1くらいの割合で高品質なものと低品質なものを混ぜて使用した。
またキャラメルの作成も、インターネットで美味しいキャラメルポップコーンの作り方を検索すると、牛乳を入れるものがあり試作をしたのだが、味がマイルドになった分、香ばしさがぼけた感じになってしまったり、直接ポップコーンを弾かせるときに砂糖を投入するやり方を試みると、ムラができてしまったりで、最終的に砂糖を焦がして水を少し加える通常のカラメルソースの作り方に落ち着いた。
そんなこんなでおしゃべりをしながらの準備で、あっという間に日も暮れてしまったので、最後は家に持ち帰り、夫と一緒にパック詰めである。仕事から疲れて帰ってきたのにごめんなさい^_^;
2009年10月20日火曜日
彼女の名前は“さ○”
今週、孤児院に新しい赤ちゃんが来た。名前は“さ○”。偶然、私の姪っ子と同じ名前である。シスターによると、彼女は母親を亡くし、父親が育てるのが困難でありこの施設に連れて来られたとのこと。栄養不良が進み、髪の毛の色素が抜けてしまい赤茶けている。下の歯が1本生えているところをみると8ヶ月くらいに思われるのだが、見た目は小さく5ヶ月程度である。そして、昨日のHIV検査の結果がポジティブであった。
専門書によると、母子感染により乳児がHIVに感染した場合は、ART(抗レトロウイルス治療)ができたとしても、通常の大人と異なりAIDSの発症や日和見感染のリスクが高く、長生きする可能性が少ないのである。しかも、彼女の免疫力は栄養不良により極めて低いものと思われる。
私の姪っ子はこの3月に生まれた。私がマラウイにいるため、まだ成長日記(ブログ)でしかお目見えしていない彼女は、常に両親に愛され、新しいおもちゃとじゃれている。私は、彼女のあどけない表情やしぐさが大好きで、ブログを見るのを楽しみにしている。
同じ時期に生まれ、同じ名前の二人。“運命を切り開くのは自分だ”という言葉があるが、これはある程度生きる力がついた人に使える言葉だなとつくづく思う。自分が一緒にいられる時間だけでも、この小さな彼女に幸せと人の温もりを感じてもらおう。
専門書によると、母子感染により乳児がHIVに感染した場合は、ART(抗レトロウイルス治療)ができたとしても、通常の大人と異なりAIDSの発症や日和見感染のリスクが高く、長生きする可能性が少ないのである。しかも、彼女の免疫力は栄養不良により極めて低いものと思われる。
私の姪っ子はこの3月に生まれた。私がマラウイにいるため、まだ成長日記(ブログ)でしかお目見えしていない彼女は、常に両親に愛され、新しいおもちゃとじゃれている。私は、彼女のあどけない表情やしぐさが大好きで、ブログを見るのを楽しみにしている。
同じ時期に生まれ、同じ名前の二人。“運命を切り開くのは自分だ”という言葉があるが、これはある程度生きる力がついた人に使える言葉だなとつくづく思う。自分が一緒にいられる時間だけでも、この小さな彼女に幸せと人の温もりを感じてもらおう。
2009年10月14日水曜日
Village Tour
友人との旅行2泊目は、リロングェから車で1時間半ほど離れたDedzaという陶器で有名な町に宿泊した。そして翌日、その町の近くで観光地活性化などに取り組む青年海外協力隊員の方々が支援するVillage Tour(in Mpalale Village)に申し込んだ。
首都のリロングェから近いこともあり、数名の日本人と合流することができたので、ツアー参加者は全員で12名と賑やかであった。まず、1時間ほど徒歩で村の家々を訪問し、住民の生活を垣間見ると、次に、このツアーのメインである伝統的なマラウイのダンスショーが始まった。
最初に青少年のダンス、次にお母さんたちのダンスがあり、どちらも結婚式の祝いの席で踊られるものであった。3つ目からは、この国独特のお面をかぶり、チテンジと呼ばれるプリント柄の布を使った衣裳を着て踊るダンスが続いた。お面は様々で、白人をイメージしたもの、ヒッピーをイメージしたもの、ゾンビをイメージしたものがあり、中でも有名なのが“Gulewankulu”というお葬式の際に踊られるダンスである。
こんなにま近で、しかも観光用なので写真やビデオを撮ることが可能であり、これが約1000円/人でお願いできるとは、とてもお得なツアーであった。
最後に、追加料金MK300(約250円)で昼食(ドリンク付き)まで頼むことができた。満足、満足♪
首都のリロングェから近いこともあり、数名の日本人と合流することができたので、ツアー参加者は全員で12名と賑やかであった。まず、1時間ほど徒歩で村の家々を訪問し、住民の生活を垣間見ると、次に、このツアーのメインである伝統的なマラウイのダンスショーが始まった。
最初に青少年のダンス、次にお母さんたちのダンスがあり、どちらも結婚式の祝いの席で踊られるものであった。3つ目からは、この国独特のお面をかぶり、チテンジと呼ばれるプリント柄の布を使った衣裳を着て踊るダンスが続いた。お面は様々で、白人をイメージしたもの、ヒッピーをイメージしたもの、ゾンビをイメージしたものがあり、中でも有名なのが“Gulewankulu”というお葬式の際に踊られるダンスである。
こんなにま近で、しかも観光用なので写真やビデオを撮ることが可能であり、これが約1000円/人でお願いできるとは、とてもお得なツアーであった。
最後に、追加料金MK300(約250円)で昼食(ドリンク付き)まで頼むことができた。満足、満足♪
2009年10月13日火曜日
Liwonde National Park
今回は、友人が貴重な休みを使ってマラウイを訪問してくれたので、二人でサファリに向かった。ちなみこの友人、私が9年前にインドのカルカッタにあるマザーテレサの家でボランティアをしていたときに、数日間一緒に過ごした子である。旅の出会いっておもしろいなーとつくづく思う。
さて、取りあえず友人がマラウイに着いた翌朝、5時40分に家を出発し、長距離バスに乗り込んだ。このバスというのが曲者で、時刻表が存在せずに、満席になるまでひたすら待たなくてはならない。これがマラウイの旅で予定を立てる難しさである。一応、添乗員さんには私たちの目的地には11時頃には着けると確認をしたのだが、そんな約束は破るようにできているようなものだ。あっさり12時近くの到着となった。
出発して最初の2時間ほどは、記憶がないほど爆睡していた私であるが、10時頃からはずっとそわそわと落ち着きがなかった。なぜなら、11時半に目的地のシレ川(マラウイいち大きな川)からサファリまでの移動ボートを予約していたのである(片道45分US$40/人)。サファリロッジへは何度か電話を入れ、最終的に1時間ほど待ってもらうことができたので、無事到着することができた(-。-)y-ホッ。
そしてこの移動ボート!苦労して交渉した甲斐があったというもの。想像以上のスピード感で最高に気持ちがいいではないか♪おまけに、運転手さんがゾウやカバの群れを見つけたときは、きちんとスピードを落としてくれるので、目的地に着く前から私たち二人は興奮しっぱなしとなった。
到着後は遅い昼食をとり、少し休憩するとゲームサファリに出発である。団体客が来ていたが、私たちは個人の申し込みだったので、イギリス人のおば様方2人と4人だけで小さいオープンジープに乗り込んだ。このおば様方、かなりのサファリ通のようで、望遠鏡を片手に案内人のドライバーとはツーカーである。動物や鳥について詳しく、私たちがドライバーに聞いた質問も間にいたおば様の一人が答えてくれたりといった具合であった。
そうしておば様方のリクエストのゾウ探しに一生懸命であったドライバーとは逆に、途中のボートでゾウの群れに遭遇することができた私たちは少し余裕で全体を見学することができた(^v^)、18時頃にシレ川のほとりでビールで乾杯をし、すっかり日が暮れた後は、引き続きナイトサファリへ出発!
そこからは、助手席にじっと座っていた寡黙なおじちゃんの出番である(^_-)-☆なぜなら彼が強力なライトで照らした先以外は暗くて私たちは見ることが出来ないからである。さっきまで存在感のなかったおじちゃんが急にたくましい存在となった。彼の動かすライトに合わせで皆で右、左、ときっと外から眺めたら面白い光景だったのではないだろうか。そして私たちはウサギなどの小動物に出会うことができた。たまにモザンビークからライオンが紛れ込んでくるようではあるが、このナショナルパークにはどうやら肉食動物があまりいないようで、どの動物ものんびりと暮らしている。
同じマラウイという土地にゾウの群れやたくさんの動物たちが住んでことがとても不思議に感じられ、ビールの酔いと程よいジープの揺れ、そして空を見上げればたくさんの星を眺めることができ、その現実離れした心地のよい空間にどっぷりと浸ってしまった。ナイトサファリも最高!
翌朝、私たちは6時からのウォーキングサファリに参加し、またジープからとは違う視点でインパラやイノシシ?を見ることが出来た。私が印象に残ったのは、生まれて初めてみた蟻地獄の巣である。不思議な構造だ。
1時間ほど歩いてお腹が空いた頃に、朝食をとり、その後は2時間のボートサファリに移動した。ここからは朝、水を求めて集まって来たたくさんの動物たちを川から見ることができるのである。昨日、5mほどのワニに遭遇し、思わず叫んでワニを逃がしてしまった私たち二人は、案内人に朝から釘を刺され、なるべく叫ばないように気を付けた。その甲斐あってか、ゾウやカバ、ワニなどは、ボートとの距離が5mほどになっても私たちに動じることなく、のんびりしていた。
10時過ぎにサファリを終え、チェックアウトとなった。とても内容の濃い1泊2日のサファリツアー。1年で一番暑いこの時期は体力が必要となるが、乾季の終わりごろのためにブッシュ(草むら)が少なく、遠くまで見渡して動物を探すことができ、一押しである♪
さて、取りあえず友人がマラウイに着いた翌朝、5時40分に家を出発し、長距離バスに乗り込んだ。このバスというのが曲者で、時刻表が存在せずに、満席になるまでひたすら待たなくてはならない。これがマラウイの旅で予定を立てる難しさである。一応、添乗員さんには私たちの目的地には11時頃には着けると確認をしたのだが、そんな約束は破るようにできているようなものだ。あっさり12時近くの到着となった。
出発して最初の2時間ほどは、記憶がないほど爆睡していた私であるが、10時頃からはずっとそわそわと落ち着きがなかった。なぜなら、11時半に目的地のシレ川(マラウイいち大きな川)からサファリまでの移動ボートを予約していたのである(片道45分US$40/人)。サファリロッジへは何度か電話を入れ、最終的に1時間ほど待ってもらうことができたので、無事到着することができた(-。-)y-ホッ。
そしてこの移動ボート!苦労して交渉した甲斐があったというもの。想像以上のスピード感で最高に気持ちがいいではないか♪おまけに、運転手さんがゾウやカバの群れを見つけたときは、きちんとスピードを落としてくれるので、目的地に着く前から私たち二人は興奮しっぱなしとなった。
到着後は遅い昼食をとり、少し休憩するとゲームサファリに出発である。団体客が来ていたが、私たちは個人の申し込みだったので、イギリス人のおば様方2人と4人だけで小さいオープンジープに乗り込んだ。このおば様方、かなりのサファリ通のようで、望遠鏡を片手に案内人のドライバーとはツーカーである。動物や鳥について詳しく、私たちがドライバーに聞いた質問も間にいたおば様の一人が答えてくれたりといった具合であった。
そうしておば様方のリクエストのゾウ探しに一生懸命であったドライバーとは逆に、途中のボートでゾウの群れに遭遇することができた私たちは少し余裕で全体を見学することができた(^v^)、18時頃にシレ川のほとりでビールで乾杯をし、すっかり日が暮れた後は、引き続きナイトサファリへ出発!
そこからは、助手席にじっと座っていた寡黙なおじちゃんの出番である(^_-)-☆なぜなら彼が強力なライトで照らした先以外は暗くて私たちは見ることが出来ないからである。さっきまで存在感のなかったおじちゃんが急にたくましい存在となった。彼の動かすライトに合わせで皆で右、左、ときっと外から眺めたら面白い光景だったのではないだろうか。そして私たちはウサギなどの小動物に出会うことができた。たまにモザンビークからライオンが紛れ込んでくるようではあるが、このナショナルパークにはどうやら肉食動物があまりいないようで、どの動物ものんびりと暮らしている。
同じマラウイという土地にゾウの群れやたくさんの動物たちが住んでことがとても不思議に感じられ、ビールの酔いと程よいジープの揺れ、そして空を見上げればたくさんの星を眺めることができ、その現実離れした心地のよい空間にどっぷりと浸ってしまった。ナイトサファリも最高!
翌朝、私たちは6時からのウォーキングサファリに参加し、またジープからとは違う視点でインパラやイノシシ?を見ることが出来た。私が印象に残ったのは、生まれて初めてみた蟻地獄の巣である。不思議な構造だ。
1時間ほど歩いてお腹が空いた頃に、朝食をとり、その後は2時間のボートサファリに移動した。ここからは朝、水を求めて集まって来たたくさんの動物たちを川から見ることができるのである。昨日、5mほどのワニに遭遇し、思わず叫んでワニを逃がしてしまった私たち二人は、案内人に朝から釘を刺され、なるべく叫ばないように気を付けた。その甲斐あってか、ゾウやカバ、ワニなどは、ボートとの距離が5mほどになっても私たちに動じることなく、のんびりしていた。
10時過ぎにサファリを終え、チェックアウトとなった。とても内容の濃い1泊2日のサファリツアー。1年で一番暑いこの時期は体力が必要となるが、乾季の終わりごろのためにブッシュ(草むら)が少なく、遠くまで見渡して動物を探すことができ、一押しである♪
2009年10月7日水曜日
増え続ける同居者(@_@;)
マラウイに来て1年と10ヶ月、ここにきて快適なはずの我が家が、急に不快になってしまった。原因は暑さにより増え続ける同居者、同居者といっても相手は小さな虫たちである。
これまでのダニやノミの被害など高が知れているが、今回の被害は本当にひどい。最初は足首やおなか周りが少しかゆいなと思っていた程度で、夫はまったく被害もなく、原因がわからなかった。しかし、1週間ほど経つと、体中が赤く点々とはれてしまい、かゆいったらありゃしない。それでも同じソファーやベットを使っている夫は被害無し。後から聞いた話だが、ノミの被害はなぜか女性ばかりなのである。
そうして、クローゼットを全部ひっくり返して掃除をしたりと一人で奮闘していたのだが、ある日、同じアパートに住む日本人の人たちも被害にあっていることを知り、この敷地内でノミが大量発生しているのではという見解に至った。しかし発生源となると、思い当たるところがあり過ぎて、まったくお手上げである。
なぜかというと、このアパートの天井にはねずみかこうもりか、毎夜鳴き声と物音でしか存在を確認できない同居者が数多くいる。そして、何を運んでいるのかまったくみえないが、殺虫剤を撒いても撒いても毎朝行列を作る蟻の集団が風呂場にいる。その他、アパート住人の一世帯が犬を無断で飼っていたり、隣の家の人はこのところ毎日、アパートの敷地内でネコを見かけるというし、ここ1ヶ月ほどの間に、これまでに無かったことがいろいろと起こっているのである。
皆で一斉に大家さんにクレームをだしてみたが、消毒をしてくれる様子はなし。最近では、絨毯を洗ったり、ソファーを干したりとしてはいるが、見えない敵との戦いは続いている。。。
これまでのダニやノミの被害など高が知れているが、今回の被害は本当にひどい。最初は足首やおなか周りが少しかゆいなと思っていた程度で、夫はまったく被害もなく、原因がわからなかった。しかし、1週間ほど経つと、体中が赤く点々とはれてしまい、かゆいったらありゃしない。それでも同じソファーやベットを使っている夫は被害無し。後から聞いた話だが、ノミの被害はなぜか女性ばかりなのである。
そうして、クローゼットを全部ひっくり返して掃除をしたりと一人で奮闘していたのだが、ある日、同じアパートに住む日本人の人たちも被害にあっていることを知り、この敷地内でノミが大量発生しているのではという見解に至った。しかし発生源となると、思い当たるところがあり過ぎて、まったくお手上げである。
なぜかというと、このアパートの天井にはねずみかこうもりか、毎夜鳴き声と物音でしか存在を確認できない同居者が数多くいる。そして、何を運んでいるのかまったくみえないが、殺虫剤を撒いても撒いても毎朝行列を作る蟻の集団が風呂場にいる。その他、アパート住人の一世帯が犬を無断で飼っていたり、隣の家の人はこのところ毎日、アパートの敷地内でネコを見かけるというし、ここ1ヶ月ほどの間に、これまでに無かったことがいろいろと起こっているのである。
皆で一斉に大家さんにクレームをだしてみたが、消毒をしてくれる様子はなし。最近では、絨毯を洗ったり、ソファーを干したりとしてはいるが、見えない敵との戦いは続いている。。。
2009年10月4日日曜日
Communication is important!
今日は夫の職場の同僚(マラウイ人スタッフと日本人)を我が家のランチに招待した。前回ごとく、日本人以外の方を招待するときは、アルコールや豚肉などは大丈夫かというところを気を付けねばならない。。。と、気をつけていたつもりが、子どもが喜ぶだろうと最後に計画にはなかったソーセージを茹でて出してしまった!あー慣れない食文化は難しい(+o+)

本日の招待は文化交流を兼ねてのり巻きを作り、割り箸をだしてみた。本日使用した割り箸は義母が作ってくれた日本人形付である(写真)。中学生のマラウイの子どもは飲み込みが早く、今日初めて目にした箸を使って上手にのり巻きを食べることができた。最後にみなお土産に箸を持って帰ったので、どうやら気にいってくれたかな(^_-)-☆
3,4時間、皆で楽しくおしゃべりをしたのだが、その中で私が一番気になった話題を少し。
これまでマラウイには台湾政府が何十年にも渡って支援を行なってきた。それが、昨年の1月、急に中国の支援に魅力を感じたマラウイ政府が、移動期間を1ヶ月ほどしか与えずに、台湾政府を撤退させたのである。理由は、台湾と国交を行なっている国は中国との国交が行い難いことが挙げられる。外交というのは本当にいろいろな思惑が絡んで成り立っているのだろう。
そこまでは、その頃に赴任したばかりの私でも理解できていた。しかし、今日のマラウイ人スタッフの話によると、その話題が新聞に載ったことで多くのマラウイ人が驚いた視点は、「これまでの支援は中国政府からのものではなかったのか!」ということだったこと。つまり、多くの国民が中国と台湾の違いを知らなかったというのである。私が「支援物資(ライスや肥料)に台湾と書いてあったりしたでしょ?」と尋ねてみると、彼らにとってはその文字は重要でなかったようであった。撤退することで、やっと名前を覚えてもらった台湾。努力は報われたのであろうか。
本日のまとめ。国対国、人対人、会社の上司対部下、どんなレベルに於いても、コミュニケーションを通してお互いを知ること、認めることは重要である。
本日の招待は文化交流を兼ねてのり巻きを作り、割り箸をだしてみた。本日使用した割り箸は義母が作ってくれた日本人形付である(写真)。中学生のマラウイの子どもは飲み込みが早く、今日初めて目にした箸を使って上手にのり巻きを食べることができた。最後にみなお土産に箸を持って帰ったので、どうやら気にいってくれたかな(^_-)-☆
3,4時間、皆で楽しくおしゃべりをしたのだが、その中で私が一番気になった話題を少し。
これまでマラウイには台湾政府が何十年にも渡って支援を行なってきた。それが、昨年の1月、急に中国の支援に魅力を感じたマラウイ政府が、移動期間を1ヶ月ほどしか与えずに、台湾政府を撤退させたのである。理由は、台湾と国交を行なっている国は中国との国交が行い難いことが挙げられる。外交というのは本当にいろいろな思惑が絡んで成り立っているのだろう。
そこまでは、その頃に赴任したばかりの私でも理解できていた。しかし、今日のマラウイ人スタッフの話によると、その話題が新聞に載ったことで多くのマラウイ人が驚いた視点は、「これまでの支援は中国政府からのものではなかったのか!」ということだったこと。つまり、多くの国民が中国と台湾の違いを知らなかったというのである。私が「支援物資(ライスや肥料)に台湾と書いてあったりしたでしょ?」と尋ねてみると、彼らにとってはその文字は重要でなかったようであった。撤退することで、やっと名前を覚えてもらった台湾。努力は報われたのであろうか。
本日のまとめ。国対国、人対人、会社の上司対部下、どんなレベルに於いても、コミュニケーションを通してお互いを知ること、認めることは重要である。
2009年10月3日土曜日
贅沢な日
夫と何気なく過ごした休日、ふと気づくと日本人の感覚からは贅沢な日だったのではないかと思い、今日1日を振り返ってみた。
先ず、朝7時に昨日予約した近所のゴルフコースで18ホールをプレイした。早朝のひと時は、実にすがすがしいのだが、今は一年で一番暑い10月、ハーフを終わった頃にはちょっとバテ気味であった(*_*;
そこで、ゴルフ終了後、首都で一番高級なCapital Hotelのプールへと向かった。こんな暑い日はきっと既にお客さんで満員だろうと思っていたのだが、なんと午前中にプールサイドが貸切となっていたので、会員向けには丁度オープンしたところであった。つまり、私たち二人で貸切状態。他のお客さんとはぶつかることを気にすることなく思いっきり泳ぐことができた。そして、事前に予約したバーベキューセットをプールサイドで食べた後は、各自リクライニングチェアーで夕方まで読書をし、シャワーを浴びて帰宅した。
そして今日はそれだけでは終わらない。フランスから来たミュージシャンによるジャズコンサートが、とあるレストランで20時半から開催されるので再び出発した。私たちは昨夜すでにチケットを購入していたのである。そして食事とお酒を楽しみながら音楽を聴くという、なんとも贅沢な時間を過ごしたのである。
さて、これらの予算(二人分)を打ち明けてしまうと以下のようになる。
ゴルフコース MK3000
キャディーフィー MK1000
キャディーチップ MK1200
ドリンク MK300
バーベキュー&ドリンクMK3000
ジャズコンサート MK2000
アルコール&つまみ MK3000
合計MK13500(日本円で約1万円)。日本人なら誰でも払うことのできる金額である。これが、為替レートが与えるパワーであり、物価の違いなのである。
先ず、朝7時に昨日予約した近所のゴルフコースで18ホールをプレイした。早朝のひと時は、実にすがすがしいのだが、今は一年で一番暑い10月、ハーフを終わった頃にはちょっとバテ気味であった(*_*;
そこで、ゴルフ終了後、首都で一番高級なCapital Hotelのプールへと向かった。こんな暑い日はきっと既にお客さんで満員だろうと思っていたのだが、なんと午前中にプールサイドが貸切となっていたので、会員向けには丁度オープンしたところであった。つまり、私たち二人で貸切状態。他のお客さんとはぶつかることを気にすることなく思いっきり泳ぐことができた。そして、事前に予約したバーベキューセットをプールサイドで食べた後は、各自リクライニングチェアーで夕方まで読書をし、シャワーを浴びて帰宅した。
そして今日はそれだけでは終わらない。フランスから来たミュージシャンによるジャズコンサートが、とあるレストランで20時半から開催されるので再び出発した。私たちは昨夜すでにチケットを購入していたのである。そして食事とお酒を楽しみながら音楽を聴くという、なんとも贅沢な時間を過ごしたのである。
さて、これらの予算(二人分)を打ち明けてしまうと以下のようになる。
ゴルフコース MK3000
キャディーフィー MK1000
キャディーチップ MK1200
ドリンク MK300
バーベキュー&ドリンクMK3000
ジャズコンサート MK2000
アルコール&つまみ MK3000
合計MK13500(日本円で約1万円)。日本人なら誰でも払うことのできる金額である。これが、為替レートが与えるパワーであり、物価の違いなのである。
2009年9月24日木曜日
Time is money
“Time is money”これは、私が我が家のドライバーに伝えた言葉である。マラウイに赴任したての頃、私が外出しない日のドライバーは、1日中寝ているか、ガードマンらとおしゃべりをして過ごし、夕方夫の職場に車を届けるという生活をしていた。私はこれがどうも慣れなかった。日本の友人には「待つのがドライバーの仕事なんだから、待たせておけばいいじゃない」といわれたのだが、だって時間がもったいないじゃない?
ドライバーを雇わない選択肢も考えてみた。私自身、運転できるので毎朝夫を職場に送ることは問題ない。しかし帰りは、その日の仕事状況により帰宅時間が異なるので、何時に迎えにいけばいいのかわからない状態で、毎晩待機態勢で過ごすのは私のストレスになるだろう。しかも夜の運転はカージャックなどに襲われる心配もあるので女性の一人運転は避けた方がよい。そうなると、やっぱり私が昼間に使った車を夕方にオフィスへ届けてくれるドライバーは必要なのである。
ということで、私はドライバーに「この待っている時間を利用して、家の中の仕事も手伝ってもらえるなら、給料とは別にお金を払うけど、どうする?」と聞くようにしている。そしてタイトルに示した言葉を説明するのである。これまで我が家のドライバーは何人か入れ替わったが、皆に家の中の仕事をすることを受け入れてもらっている。
具体的に何をしてもらうかというと、主に単純な作業だけど時間が掛かる“豆腐”作りを依頼している。しかもそれを近所の日本人に売ることで、利益がドライバーのお小遣いとなるようにした。1度に作れる豆腐は2丁分、それを1丁MK150(約100円)で販売し、50%が材料費、残りの50%が彼のお小遣いという内訳である。
この活動は3者にとってとても良いものとなった。まず豆腐を販売する対象を主に一人暮らしの日本人とし、安くてヘルシーな豆腐を提供することで、少しでも健康面に気をつけていただけたらと考えた。首都にある高級ストアー“foodworths”では、真空パックの絹ごし豆腐が一丁MK985(約750円)もするのである。私はこれを見て、賞味期限が切れる前に購入する人が現れるのだろうかと不思議に思ってしまう。次にドライバーは時間を有効利用して給料以外の所得が得られる。最後に、私は家で作業をしている間に、寝ているだけのドライバーにストレスを感じないで済む。という具合である。
そして、最近の急激な温度変化で少し風邪っぴきの私は、今日は家で作業をすることにし、台所ではドライバーが豆腐作りをしているのである。
ドライバーを雇わない選択肢も考えてみた。私自身、運転できるので毎朝夫を職場に送ることは問題ない。しかし帰りは、その日の仕事状況により帰宅時間が異なるので、何時に迎えにいけばいいのかわからない状態で、毎晩待機態勢で過ごすのは私のストレスになるだろう。しかも夜の運転はカージャックなどに襲われる心配もあるので女性の一人運転は避けた方がよい。そうなると、やっぱり私が昼間に使った車を夕方にオフィスへ届けてくれるドライバーは必要なのである。
ということで、私はドライバーに「この待っている時間を利用して、家の中の仕事も手伝ってもらえるなら、給料とは別にお金を払うけど、どうする?」と聞くようにしている。そしてタイトルに示した言葉を説明するのである。これまで我が家のドライバーは何人か入れ替わったが、皆に家の中の仕事をすることを受け入れてもらっている。
具体的に何をしてもらうかというと、主に単純な作業だけど時間が掛かる“豆腐”作りを依頼している。しかもそれを近所の日本人に売ることで、利益がドライバーのお小遣いとなるようにした。1度に作れる豆腐は2丁分、それを1丁MK150(約100円)で販売し、50%が材料費、残りの50%が彼のお小遣いという内訳である。
この活動は3者にとってとても良いものとなった。まず豆腐を販売する対象を主に一人暮らしの日本人とし、安くてヘルシーな豆腐を提供することで、少しでも健康面に気をつけていただけたらと考えた。首都にある高級ストアー“foodworths”では、真空パックの絹ごし豆腐が一丁MK985(約750円)もするのである。私はこれを見て、賞味期限が切れる前に購入する人が現れるのだろうかと不思議に思ってしまう。次にドライバーは時間を有効利用して給料以外の所得が得られる。最後に、私は家で作業をしている間に、寝ているだけのドライバーにストレスを感じないで済む。という具合である。
そして、最近の急激な温度変化で少し風邪っぴきの私は、今日は家で作業をすることにし、台所ではドライバーが豆腐作りをしているのである。
2009年9月20日日曜日
国際映画祭in Malawi
映画館のないリロングェで国際映画祭が開催された。これは行くしかないでしょ\(^o^)/とプログラムをみながら夫と相談。この映画祭は各国大使館が提供する映画をCrossroads Hotelの講演会場で上映するというもので、日本はみんなのアイドル“ドラえもん”であった(*^。^*)
私たちは、フランスとスペインを悩んだ末、15時30分開催のフランス映画に決めた。内容はプログラムによると、第一次世界大戦中に、戦場に向かった夫から別れの手紙をもらった女性が、男性に扮して彼のもとに向かうというもの。おもしろそうでしょ!?
ということで、10分ほど前につき、コーラを買って劇場で始まるのを楽しみに待っていた。すると15時30分過ぎ、スタッフが来て「今から上映する映画のプログラムの内容は間違いで、○○○○という内容です。ではお楽しみください♪」といって去ろうとた。慌てて観客の一人が「タイトルはなんなんだ?」といったところ、スタッフからは「タイトルはそのままです」という回答。
私たちは最初に彼らの会話の意味が把握できずにいた。想像もしていなかったことなので、「???」のまま、映画を観始めて5分後、「これ、内容違うよね?」とやっと意味がわかり、会場の外にでた。スタッフにもう一度確認したところ、折角楽しみにしていた映画はやらないとのことなので、交渉の末、17時30分からのスペイン映画に変更した。
というか、チケットを買うときに上映内容が違うことは伝えるべきでしょ!映画館のないマラウイ人には、こういう日本人なら考え付く常識も常識ではないのである(@_@;)
最後に、“14km”という映画はなかなか面白かった。
私たちは、フランスとスペインを悩んだ末、15時30分開催のフランス映画に決めた。内容はプログラムによると、第一次世界大戦中に、戦場に向かった夫から別れの手紙をもらった女性が、男性に扮して彼のもとに向かうというもの。おもしろそうでしょ!?
ということで、10分ほど前につき、コーラを買って劇場で始まるのを楽しみに待っていた。すると15時30分過ぎ、スタッフが来て「今から上映する映画のプログラムの内容は間違いで、○○○○という内容です。ではお楽しみください♪」といって去ろうとた。慌てて観客の一人が「タイトルはなんなんだ?」といったところ、スタッフからは「タイトルはそのままです」という回答。
私たちは最初に彼らの会話の意味が把握できずにいた。想像もしていなかったことなので、「???」のまま、映画を観始めて5分後、「これ、内容違うよね?」とやっと意味がわかり、会場の外にでた。スタッフにもう一度確認したところ、折角楽しみにしていた映画はやらないとのことなので、交渉の末、17時30分からのスペイン映画に変更した。
というか、チケットを買うときに上映内容が違うことは伝えるべきでしょ!映画館のないマラウイ人には、こういう日本人なら考え付く常識も常識ではないのである(@_@;)
最後に、“14km”という映画はなかなか面白かった。
2009年9月19日土曜日
日本人祭り
本日は、久々に夫とふたりでおでかけです。目的は、家から車で40分ほどのところにあるNRC(Natural Resources College)で、青年海外協力隊(JOCV)の方々が日本人祭りを開催したので、その見学です。
プログラムは、JOCVの活動紹介、原爆について、歌や踊りと盛りだくさんでした。入場無料とあって、マラウイアンの小さな子どもたちがわんさか来ていましたが、彼らには活動紹介や原爆のお話はちょっと難しかったようです。会場を出たり入ったりと繰り返していました。
プログラムの中で一番の盛り上がりを見せたのが、なんと書道です。私の感覚では、書道のデモンストレーションとは静かな中で行なわれるものだったので、その盛り上がりに驚きました。JOCVの方が床に置いた紙に文字を書き、その後皆に見せながら解説をしたのですが、その度に会場のマラウイ人はどよめき、楽しそうに笑い、拍手をしていました。
私が一番印象に残ったのが、マラウイを当て字で“真愛”と表現したことです。“The Warm heart of Africa”と呼ばれているこの国にふさわしい字で、私も「おみごとヽ(^。^)ノ」とおもいっきり拍手をしました。
プログラムは、JOCVの活動紹介、原爆について、歌や踊りと盛りだくさんでした。入場無料とあって、マラウイアンの小さな子どもたちがわんさか来ていましたが、彼らには活動紹介や原爆のお話はちょっと難しかったようです。会場を出たり入ったりと繰り返していました。
プログラムの中で一番の盛り上がりを見せたのが、なんと書道です。私の感覚では、書道のデモンストレーションとは静かな中で行なわれるものだったので、その盛り上がりに驚きました。JOCVの方が床に置いた紙に文字を書き、その後皆に見せながら解説をしたのですが、その度に会場のマラウイ人はどよめき、楽しそうに笑い、拍手をしていました。
私が一番印象に残ったのが、マラウイを当て字で“真愛”と表現したことです。“The Warm heart of Africa”と呼ばれているこの国にふさわしい字で、私も「おみごとヽ(^。^)ノ」とおもいっきり拍手をしました。
2009年9月15日火曜日
Millennium Village
NGOのボスと同僚と一緒に、UNDP(国連開発計画)の支援するミレニアム村を訪問した。人口1700人ほどの小さな村ではあるが、この村を支援する目的には、実は大きな国際目標が関係しているのである。
少し難しい話になってしまうが、2000年にニューヨークで開催された国連ミレニアムサミットにおいて、21世紀にあるべき国際社会をめざして「国連ミレニアム宣言」が採択された。それによって、これまでの国際開発目標が統合され、ミレニアム開発目標(MDGs)が掲げられた。MDGsには、大きく8つの目標があるのだが、その全てを達成することを目的に、このミレニアム村は支援を受けているのである。このような村はマラウイ国内だけではなく、エチオピア、ケニア、ウガンダなど多くのアフリカの国々でも実施されている。
日本の国際支援は比較的Human Development(人間開発)の視点が強く、資金提供よりも人材育成を優先しているのだが、国連は、貧困の一番の問題は資金不足であり、資金を提供することで、彼らは豊かになるという考え方が強い。そのためか、9月15日のThe Daily Timesの記事によると、このミレニアム村支援プロジェクトは、一人の村人に対して年間の支援費用をUS$110と定め、村人の負担はその10分の1に留めている(偶然にも訪問日に新聞に記事が掲載されていた!)。
私が訪問した村は、US$11を投資した村人がいろいろな支援を受けていた。また村人投資で共同で行なっているのか、雨季前の終了を目指して学校やメイズを蓄えておく食糧庫、小売店などの共同利用できる建物が建設中であった。最初に説明を受けた「プロジェクト対象地域の選別は、貧しいが貧しくないところ」といった意味が見学をしていてよくわかった。どこを訪問しても、村人や子どもたちが歓迎してくれたのだが、彼らの服はボロボロであったり、電気のない家に住んでいたりする。しかし、水や家畜、家庭菜園など多くのものが各家庭に揃っているのである。
よい手本となるプロジェクトサイトを選んでしまった場合、その手法を普及していくときのその他の地域の環境の違いが、プロジェクトの成功の妨げになるのではないかとどうしても危惧してしまう。しかし、ここではプロジェクトの将来についてはおいて置いて、本日の見学の中で「これはイケる!」と勝手に思ったものを紹介したい。
それは、小屋の中で作る“マッシュルーム(茸類の一種)”である。中をビニールで覆って湿度を保っている藁でできた小屋の中に、おがくずなどがたっぷり入ったビニール袋がつるされていた。そこに菌をいれ、朝夕の2回水をスプレーする。すると写真のような真っ白でりっぱなマッシュルームができあがるのである。これを私たちはキロMK400(約250円)で売っていただいたのだが、一緒に訪問したマラウイ人によれば、首都に行けばキロMK3000で売れるとのことであった。マラウイの主食のメイズがキロMK30といっていたので、労力などを考えると女性の所得向上にはとてもよいアイデアだと思った。
私がグアテマラで住んでいた村は、10ヶ月間も雨季がある地域だったので、できるものならグアテマラの友人にこの手法を伝えたいと思ってしまった。そうして、1kgのマッシュルームをお土産に得た私は、帰路で夕食のメニューを考えるのであった。
少し難しい話になってしまうが、2000年にニューヨークで開催された国連ミレニアムサミットにおいて、21世紀にあるべき国際社会をめざして「国連ミレニアム宣言」が採択された。それによって、これまでの国際開発目標が統合され、ミレニアム開発目標(MDGs)が掲げられた。MDGsには、大きく8つの目標があるのだが、その全てを達成することを目的に、このミレニアム村は支援を受けているのである。このような村はマラウイ国内だけではなく、エチオピア、ケニア、ウガンダなど多くのアフリカの国々でも実施されている。
日本の国際支援は比較的Human Development(人間開発)の視点が強く、資金提供よりも人材育成を優先しているのだが、国連は、貧困の一番の問題は資金不足であり、資金を提供することで、彼らは豊かになるという考え方が強い。そのためか、9月15日のThe Daily Timesの記事によると、このミレニアム村支援プロジェクトは、一人の村人に対して年間の支援費用をUS$110と定め、村人の負担はその10分の1に留めている(偶然にも訪問日に新聞に記事が掲載されていた!)。
私が訪問した村は、US$11を投資した村人がいろいろな支援を受けていた。また村人投資で共同で行なっているのか、雨季前の終了を目指して学校やメイズを蓄えておく食糧庫、小売店などの共同利用できる建物が建設中であった。最初に説明を受けた「プロジェクト対象地域の選別は、貧しいが貧しくないところ」といった意味が見学をしていてよくわかった。どこを訪問しても、村人や子どもたちが歓迎してくれたのだが、彼らの服はボロボロであったり、電気のない家に住んでいたりする。しかし、水や家畜、家庭菜園など多くのものが各家庭に揃っているのである。
よい手本となるプロジェクトサイトを選んでしまった場合、その手法を普及していくときのその他の地域の環境の違いが、プロジェクトの成功の妨げになるのではないかとどうしても危惧してしまう。しかし、ここではプロジェクトの将来についてはおいて置いて、本日の見学の中で「これはイケる!」と勝手に思ったものを紹介したい。
それは、小屋の中で作る“マッシュルーム(茸類の一種)”である。中をビニールで覆って湿度を保っている藁でできた小屋の中に、おがくずなどがたっぷり入ったビニール袋がつるされていた。そこに菌をいれ、朝夕の2回水をスプレーする。すると写真のような真っ白でりっぱなマッシュルームができあがるのである。これを私たちはキロMK400(約250円)で売っていただいたのだが、一緒に訪問したマラウイ人によれば、首都に行けばキロMK3000で売れるとのことであった。マラウイの主食のメイズがキロMK30といっていたので、労力などを考えると女性の所得向上にはとてもよいアイデアだと思った。
私がグアテマラで住んでいた村は、10ヶ月間も雨季がある地域だったので、できるものならグアテマラの友人にこの手法を伝えたいと思ってしまった。そうして、1kgのマッシュルームをお土産に得た私は、帰路で夕食のメニューを考えるのであった。
2009年9月14日月曜日
オバサン化 or マラウイアン化!?
先日、スポーツジムの会員の期限が過ぎてしまったので、3ヶ月の期間限定ペア会員を申し込みに行った。スタッフに値段を聞いたところ「MK37630(約2万5000円)」と言われたのだが、私は試しに「安くしてもらえる?」と聞いた。すると彼は、「OK、30」と言ってきた。私はてっきり最後の桁のMK30だと思い、「えーそれだけ(―_―)!!」と言ってしまったのだが、スタッフから「違う違う、thirty thousand kwachaだ」と言われた。「(えーそんなにー\(^o^)/)」というのは、心の中で抑えておき、私は「OK」と言いお金を払って無事にジムの会員となったのである。
たった一声でMK7630も値段が下がるなんて、どんな商売なのかと思ってしまうが、そんな経験してしまうと、どこへ行っても取りあえず挨拶代わりに「安くできる?」と聞いてしまうのである。
さて、この行為が癖になってしまい日本で同じことをしたらそれはオバサン化といわれてしまうのだろうか。 んっ!?待てよ。これって、マラウイの子どもたちが挨拶代わりに「give me money」と言ってくるのと同じじゃない。どうやら私はすっかりマラウイに染まってしまったようである。。。
たった一声でMK7630も値段が下がるなんて、どんな商売なのかと思ってしまうが、そんな経験してしまうと、どこへ行っても取りあえず挨拶代わりに「安くできる?」と聞いてしまうのである。
さて、この行為が癖になってしまい日本で同じことをしたらそれはオバサン化といわれてしまうのだろうか。 んっ!?待てよ。これって、マラウイの子どもたちが挨拶代わりに「give me money」と言ってくるのと同じじゃない。どうやら私はすっかりマラウイに染まってしまったようである。。。
2009年9月13日日曜日
ブログ
梅田望夫著の「ウェブ進化論」を読んだ。電子機器全般に奥手の私にとって、すごい速さで動いているんだろうなとしかキャッチできていなかったITの世界の話が、わかりやすく書かれていてとても面白かった。
そして、今さらながら、辞書代わりにお世話になっている、そして私のブログの場を無料で提供してくれている会社「グーグル(2005年に時価総額が10兆円を越えた)」の2人の創業者が1973年生まれと、私と同年代であることにも驚き、その若さで「世界の情報を自分たちの手でひとつにまとめてしまおう」という発想を抱くことやその行動力に驚いた。
ここでは、難しいことは抜きにして、単純に私が「へぇー(‐。‐)」と思った第4章の「ブログと総表現社会」の著者の考えを紹介する。その前に、ブログとはウェブログ(Weblog=ウェブの記録)を語源とし、日記風に書かれた個人のホームページであるというシンプルな説明があった。そしてもう少し詳しく説明すると、ブログの仕組みは記事に固有のアドレス(URL)がつけられているので、「○○さんのブログのこの記事」とピンポイントに検索や紹介が可能であるとのことである。最初の頃、両親から「ブログってなんなのかよくわからないのだけど」というメールがあったので、こういう説明をしてみればよかったと思ったので載せておく。
私が面白かったのは、日米のブログ文化の違いである。アメリカでは実名でブログを書く人が多く、日本では匿名(ペンネーム)で書く人が多い。かく言う私も日本人であるなと実感したのだが、アメリカ人は自分の考えをオープンにしてなんぼの世界で生きている。彼らは「自己主張」のはっきりした国民であり、ペンネームでそれを主張しては意味がないのである。とてもストレートな人たちだ。
私の友人が以前アメリカの学会に参加したときの感想を私に言ったときのことを思い出した。「アメリカ人は発表者に“とても良かった”と伝えるだけで手をあげるので驚いた」と。日本人である私たちは、学会の口頭発表の後の質疑応答などは、よっぽど自分の専門がその発表と関わっている、もしくは興味がないと手をあげられないものである。
とはいっても、日本も若い世代を中心にオープンカルチャーが根付き始めていると著者も述べているが、私も同感である。今後ブログを通して自分をアピールし、就職につなげていくなんてことが日本でも増えていくのではないだろうか(私の義姉は米国で実践していた)。
そして、今さらながら、辞書代わりにお世話になっている、そして私のブログの場を無料で提供してくれている会社「グーグル(2005年に時価総額が10兆円を越えた)」の2人の創業者が1973年生まれと、私と同年代であることにも驚き、その若さで「世界の情報を自分たちの手でひとつにまとめてしまおう」という発想を抱くことやその行動力に驚いた。
ここでは、難しいことは抜きにして、単純に私が「へぇー(‐。‐)」と思った第4章の「ブログと総表現社会」の著者の考えを紹介する。その前に、ブログとはウェブログ(Weblog=ウェブの記録)を語源とし、日記風に書かれた個人のホームページであるというシンプルな説明があった。そしてもう少し詳しく説明すると、ブログの仕組みは記事に固有のアドレス(URL)がつけられているので、「○○さんのブログのこの記事」とピンポイントに検索や紹介が可能であるとのことである。最初の頃、両親から「ブログってなんなのかよくわからないのだけど」というメールがあったので、こういう説明をしてみればよかったと思ったので載せておく。
私が面白かったのは、日米のブログ文化の違いである。アメリカでは実名でブログを書く人が多く、日本では匿名(ペンネーム)で書く人が多い。かく言う私も日本人であるなと実感したのだが、アメリカ人は自分の考えをオープンにしてなんぼの世界で生きている。彼らは「自己主張」のはっきりした国民であり、ペンネームでそれを主張しては意味がないのである。とてもストレートな人たちだ。
私の友人が以前アメリカの学会に参加したときの感想を私に言ったときのことを思い出した。「アメリカ人は発表者に“とても良かった”と伝えるだけで手をあげるので驚いた」と。日本人である私たちは、学会の口頭発表の後の質疑応答などは、よっぽど自分の専門がその発表と関わっている、もしくは興味がないと手をあげられないものである。
とはいっても、日本も若い世代を中心にオープンカルチャーが根付き始めていると著者も述べているが、私も同感である。今後ブログを通して自分をアピールし、就職につなげていくなんてことが日本でも増えていくのではないだろうか(私の義姉は米国で実践していた)。
2009年9月12日土曜日
反省
今週私がフェニーの家に泊まった日のことである、私は大変な過ちを犯してしまった。午後、彼女の家に着いた私たちは、荷物を置いてローカルマーケットの探索にいった。その後帰宅し、そのまま焚き火の周りでおしゃべりをしていたのだが、途中わからない単語を調べたくて、部屋に辞書を取りに行ったのである。
しかし、私が鞄に入れたと思っていた辞書はそこになかった。一瞬、目の前が暗くなってしまった。私はフェニーの家に着いたときに荷物を取り出した後、気が緩んでしまい鞄に鍵をせずに外出してしまったのである。迷った末、フェニーを部屋に呼んで相談をした。そして、私が家から持ってき忘れた可能性もあるが、皆に聞いてみるといって、フェニーと母親が子どもたち一人ひとりを呼び出して、辞書を知らないかと聞いたのである。
辞書は出てこなかった。私は取りあえず、明日家に帰ればはっきりするだろうと自分を納得させ、その場を楽しむことにした。
そして次の日、朝家に帰ると私の部屋に辞書がきちんと置いてあったのである。そう、そもそも私はフェニーの家に辞書を持っていき忘れていたのだ。自分が子どもたちにしてしまった失礼な行為をどう詫びていいのか、言葉がでてこなかった。フェニーにそのことを伝えると、「あったんだからそれでいいじゃないか、人は忘れることは仕方が無いことだし、それよりもあったことが私は嬉しい、Kauraから友情を切られてしまわないで本当にハッピーだわ。」という言葉が返ってきた。私はその言葉に救われたのである。
私はその日にどうしてもお詫びをしに行きたかったのだが、フェニーやフェニーの母親から「今日は忙しいし、もう何も問題ないんだから家まで来ないで大丈夫だ」と言われて終わってしまった。
そして今朝、大きなシフォンケーキを作って、フェニーの家を訪ねた。フェニーの子どもたちや両親が前回とまったく変わらない歓迎をしてくれた。みな「辞書が見つかってハッピーだね」と私にとても温かい言葉を掛けてくれた。そしてランチまでご馳走になって帰路に着いた。本当に、本当に、彼らの温かさに感謝!
しかし、私が鞄に入れたと思っていた辞書はそこになかった。一瞬、目の前が暗くなってしまった。私はフェニーの家に着いたときに荷物を取り出した後、気が緩んでしまい鞄に鍵をせずに外出してしまったのである。迷った末、フェニーを部屋に呼んで相談をした。そして、私が家から持ってき忘れた可能性もあるが、皆に聞いてみるといって、フェニーと母親が子どもたち一人ひとりを呼び出して、辞書を知らないかと聞いたのである。
辞書は出てこなかった。私は取りあえず、明日家に帰ればはっきりするだろうと自分を納得させ、その場を楽しむことにした。
そして次の日、朝家に帰ると私の部屋に辞書がきちんと置いてあったのである。そう、そもそも私はフェニーの家に辞書を持っていき忘れていたのだ。自分が子どもたちにしてしまった失礼な行為をどう詫びていいのか、言葉がでてこなかった。フェニーにそのことを伝えると、「あったんだからそれでいいじゃないか、人は忘れることは仕方が無いことだし、それよりもあったことが私は嬉しい、Kauraから友情を切られてしまわないで本当にハッピーだわ。」という言葉が返ってきた。私はその言葉に救われたのである。
私はその日にどうしてもお詫びをしに行きたかったのだが、フェニーやフェニーの母親から「今日は忙しいし、もう何も問題ないんだから家まで来ないで大丈夫だ」と言われて終わってしまった。
そして今朝、大きなシフォンケーキを作って、フェニーの家を訪ねた。フェニーの子どもたちや両親が前回とまったく変わらない歓迎をしてくれた。みな「辞書が見つかってハッピーだね」と私にとても温かい言葉を掛けてくれた。そしてランチまでご馳走になって帰路に着いた。本当に、本当に、彼らの温かさに感謝!
2009年9月11日金曜日
タイルゲーム
アメリカ人の夫を持つ友人から夕食のお誘いがあり、私ともう一人の友人と金曜の夜に訪問した。日本の母から教わったレシピだといっていた唐揚げもカラフルなソースが付き、ミニキャベツやズッキーニなどを取り入れるところは、やはりどことなく日本とアメリカの融合を感じ、素敵な食事であった。私は彼女の大好きな「我が家のお手伝いさん作の豆腐」を手土産にもっていったのだが、彼女はそれを手際よくトーフステーキにしてくれた♪
さて、そんなわけで楽しくおしゃべりをしながら食事を終わろうとしたとき、彼女の夫が「タイルゲームをしよう!」と提案した。私たちは初めて聞くその言葉に「?」だったのだが、彼が箱を取り出し、説明をしてくれたので、とりあえず4人でゲームスタート!そのゲーム(正式な名前は“Carcassonne”といい米国ではポピュラーなゲームらしい)は、一枚一枚裏になっているタイルを順番にめくり、そこに書かれた絵を既に置いてある絵にうまくつなげるもので、その絵には土地、家、道路、城の一部が描かれていて、めくった人がそのオーナーになる権限を持つというもので、自分の所有物を完成させてポイントを稼いでいくゲームである。
少しやってみたところで、私たちはもうハマってしまった♪お互い協力し合ったり、裏切ってしまったりしながら、それぞれが自分のポイントを稼いでいく。毎回、違う展開でいろいろなデザインの町が完成していくのもまた面白さのひとつだ。そんなわけで、気づいたらもう夜中になっていたので、最後に友人の作ってくれたロールケーキのデザートをいただき、解散となった。
さて、そんなわけで楽しくおしゃべりをしながら食事を終わろうとしたとき、彼女の夫が「タイルゲームをしよう!」と提案した。私たちは初めて聞くその言葉に「?」だったのだが、彼が箱を取り出し、説明をしてくれたので、とりあえず4人でゲームスタート!そのゲーム(正式な名前は“Carcassonne”といい米国ではポピュラーなゲームらしい)は、一枚一枚裏になっているタイルを順番にめくり、そこに書かれた絵を既に置いてある絵にうまくつなげるもので、その絵には土地、家、道路、城の一部が描かれていて、めくった人がそのオーナーになる権限を持つというもので、自分の所有物を完成させてポイントを稼いでいくゲームである。
少しやってみたところで、私たちはもうハマってしまった♪お互い協力し合ったり、裏切ってしまったりしながら、それぞれが自分のポイントを稼いでいく。毎回、違う展開でいろいろなデザインの町が完成していくのもまた面白さのひとつだ。そんなわけで、気づいたらもう夜中になっていたので、最後に友人の作ってくれたロールケーキのデザートをいただき、解散となった。
2009年9月10日木曜日
Village Stay(^_-)-☆
今回のお泊り先は、私の家から徒歩40分ほどのところにある私の英語の先生、フェニーの家。彼女の仕事帰りに私の家に寄ってもらい、一緒に買い物をしながら彼女の家に向かった。
買い物のために、フェニーに「何人家族だっけ?」と聞いたところ「たくさん」というだけで正確な人数が得られない。これまで何度か彼女の家には遊びに行っているが、人数を数えたことがないので、私もよくわかっていないのである。彼女の家は、敷地内に両親や親戚も住んでいて、お互いが相互扶助で食事の支度をしているため、どこまでを家族と呼ぶのかが定かではない。そのため、お土産として適当にパン2斤、ピーナツバター1瓶、バナナ2房、砂糖と塩を各1kg買って行った。
さて、家に着くと子どもたちが私の到着を待っていたのか、私を見つけて駆け寄ってきてくれた。現地語が話せないので、あいさつまでしか会話が進まないが、歌や踊りを披露してくれた♪以前、ここの家族に日本の友人の結婚式用に歌を歌ってもらったことがあるのだが(最初のブログに掲載!)、子どもたちがそれを覚えていて「ハッピー♪ウエディングデー チンチロー&アニー♪」と歌ってくれた。懐かしさと友人の旦那の名前が変っていたのがおかしくって笑いが止まらなかった(*^。^*)
本日の夕食は私の訪問を歓迎してくれて、貴重な鶏を1羽絞めてくれたのである。外にゴザを敷き、焚き火の周りでそのチキンとシマ、菜っ葉等を有難くいただいた。普段一人で夕食をとるのが当たり前の生活をしている私にとって、火を囲んで大人数で食べる食事は新鮮で心が和み、やっぱり家族揃って食事をするのって心身ともにいいんだろうなぁとあらためて思うのであった。
夜8時半、フェニーの妹が私の髪を結いたいといったので、家の中に入り、TVでニュースをみながらアフリカ風に三つ編みをしてもらった。そして10時半頃、消灯となった。
しかし、消灯後の私はそれまでとは一転、穏やかとはいえなかったのである(@_@;)。なぜなら暗くなったとたんに、私のベッドの周辺で生き物の気配を感じたのである。モスキートネットで保護されているものの、近くにねずみや蚊がいることは確実だ!ねずみが走って土壁が崩れる音やビニールのガサガサという音、本当に寝付くまでは緊張であった(-_-;)。
次の日、フェニーは5時に起きて床掃除などをし、シャワーを浴びた。彼女は本当に働きものである。しかし私は昨日寝付けなかったこともあり、甘えて6時までゆっくりしてしまった。一晩ほんとうにお世話になりましたm(_ _)m
買い物のために、フェニーに「何人家族だっけ?」と聞いたところ「たくさん」というだけで正確な人数が得られない。これまで何度か彼女の家には遊びに行っているが、人数を数えたことがないので、私もよくわかっていないのである。彼女の家は、敷地内に両親や親戚も住んでいて、お互いが相互扶助で食事の支度をしているため、どこまでを家族と呼ぶのかが定かではない。そのため、お土産として適当にパン2斤、ピーナツバター1瓶、バナナ2房、砂糖と塩を各1kg買って行った。
さて、家に着くと子どもたちが私の到着を待っていたのか、私を見つけて駆け寄ってきてくれた。現地語が話せないので、あいさつまでしか会話が進まないが、歌や踊りを披露してくれた♪以前、ここの家族に日本の友人の結婚式用に歌を歌ってもらったことがあるのだが(最初のブログに掲載!)、子どもたちがそれを覚えていて「ハッピー♪ウエディングデー チンチロー&アニー♪」と歌ってくれた。懐かしさと友人の旦那の名前が変っていたのがおかしくって笑いが止まらなかった(*^。^*)
本日の夕食は私の訪問を歓迎してくれて、貴重な鶏を1羽絞めてくれたのである。外にゴザを敷き、焚き火の周りでそのチキンとシマ、菜っ葉等を有難くいただいた。普段一人で夕食をとるのが当たり前の生活をしている私にとって、火を囲んで大人数で食べる食事は新鮮で心が和み、やっぱり家族揃って食事をするのって心身ともにいいんだろうなぁとあらためて思うのであった。
夜8時半、フェニーの妹が私の髪を結いたいといったので、家の中に入り、TVでニュースをみながらアフリカ風に三つ編みをしてもらった。そして10時半頃、消灯となった。
しかし、消灯後の私はそれまでとは一転、穏やかとはいえなかったのである(@_@;)。なぜなら暗くなったとたんに、私のベッドの周辺で生き物の気配を感じたのである。モスキートネットで保護されているものの、近くにねずみや蚊がいることは確実だ!ねずみが走って土壁が崩れる音やビニールのガサガサという音、本当に寝付くまでは緊張であった(-_-;)。
次の日、フェニーは5時に起きて床掃除などをし、シャワーを浴びた。彼女は本当に働きものである。しかし私は昨日寝付けなかったこともあり、甘えて6時までゆっくりしてしまった。一晩ほんとうにお世話になりましたm(_ _)m
2009年9月8日火曜日
☆Night Worker☆
私がボランティア活動をしている孤児院(マザーテレサの家)には、週1回8時から14時までの6時間のみ滞在している。それ以外の時間帯を子どもたちはどのように過ごしているのか、以前から気になっていたため、今回はシスターにお願いして、Night Workerをやらせてもらうこととなった。
そして月曜の16時半に孤児院へ到着し、お仕事スタート!まずは、大きな子どもたちと“ハグ”をしながら挨拶を交わすと、あっという間に17時半のミルクタイムになった。通常、乳児室の18人の赤ちゃんのお世話は、一人のNight Workerが行なう。本日の担当は”January”という面白い名前のおばちゃんだ。彼女は英語をまったく話さないので、今日は現地語の辞書が手放せなさそうである。「おっ、よく見ると先週までいた怪獣のような鳴き声をあげる“パウリーナ”が幼児室に移っている。これならもしかすると夜眠れるぞ!」と部屋に入ったそうそう叶わぬ期待を抱いてしまった。
さて、この写真の哺乳瓶、私はどうしてもどれが誰のもの覚えられないので、指示をもらいながら全ての子どもに哺乳瓶を吸わせた。子どもたちは一度哺乳瓶を口から離してしまうとしばらく放って置かれてしまうので、一生懸命吸い付いている。そう、ここの子どもたちは1歳未満の赤ちゃんだって一人でミルクを飲まなければいけないのである。
そうして、18時におしめを取り替え、18時半にモスキートネットをかぶせて寝かしつける。19時、私たちの夕食時間となる。その後は、マットに横になりながら朝まで赤ちゃんの様子を見る。今日は、子どもたちのモスキートネットに穴が開いているのが気になったので、持参したソーイングセットで修理をしていた。まさに、母ちゃん夜なべ状態(-。-)y-゜゜゜
21時にもう一度数名の赤ちゃんにミルクをあげ終ると、シスターが来て「外に大きな犬を放すので、これ以降は朝の6時まで部屋を出ないよう」と指示があり、用意してもらったモスキートネット付きマットにとりあえず横になってみた。
予想通り、赤ちゃんは代わる代わる夜泣きをするので、その度に何が原因かをチェックした。一人の赤ちゃんが下痢状態で、一夜だけでも3回、ベットシーツからなにから全てウンチまみれになって泣くので、最後は毛布に来るんで私の隣で寝かすことにした。大人が隣にいることは赤ちゃんにとって安心するのか、それ以降はとてもおとなしく朝を迎えた。
5時半、気づくとJanuaryは起きて子どもたちのモスキーとネットをはずして、ミルクを与えていた。私は急いでマットをしまい、飲み終わった子どもたちのおしめを取り替えた。そうして7時から一人ひとりを入浴させ、いつもの見慣れた風景に戻ったのであった。
このNight Workerのシフトは1週間交替。私は一晩が精一杯である。本当に、Workerの皆さんお疲れ様ですm(_ _)m
そして月曜の16時半に孤児院へ到着し、お仕事スタート!まずは、大きな子どもたちと“ハグ”をしながら挨拶を交わすと、あっという間に17時半のミルクタイムになった。通常、乳児室の18人の赤ちゃんのお世話は、一人のNight Workerが行なう。本日の担当は”January”という面白い名前のおばちゃんだ。彼女は英語をまったく話さないので、今日は現地語の辞書が手放せなさそうである。「おっ、よく見ると先週までいた怪獣のような鳴き声をあげる“パウリーナ”が幼児室に移っている。これならもしかすると夜眠れるぞ!」と部屋に入ったそうそう叶わぬ期待を抱いてしまった。
さて、この写真の哺乳瓶、私はどうしてもどれが誰のもの覚えられないので、指示をもらいながら全ての子どもに哺乳瓶を吸わせた。子どもたちは一度哺乳瓶を口から離してしまうとしばらく放って置かれてしまうので、一生懸命吸い付いている。そう、ここの子どもたちは1歳未満の赤ちゃんだって一人でミルクを飲まなければいけないのである。
そうして、18時におしめを取り替え、18時半にモスキートネットをかぶせて寝かしつける。19時、私たちの夕食時間となる。その後は、マットに横になりながら朝まで赤ちゃんの様子を見る。今日は、子どもたちのモスキートネットに穴が開いているのが気になったので、持参したソーイングセットで修理をしていた。まさに、母ちゃん夜なべ状態(-。-)y-゜゜゜
21時にもう一度数名の赤ちゃんにミルクをあげ終ると、シスターが来て「外に大きな犬を放すので、これ以降は朝の6時まで部屋を出ないよう」と指示があり、用意してもらったモスキートネット付きマットにとりあえず横になってみた。
予想通り、赤ちゃんは代わる代わる夜泣きをするので、その度に何が原因かをチェックした。一人の赤ちゃんが下痢状態で、一夜だけでも3回、ベットシーツからなにから全てウンチまみれになって泣くので、最後は毛布に来るんで私の隣で寝かすことにした。大人が隣にいることは赤ちゃんにとって安心するのか、それ以降はとてもおとなしく朝を迎えた。
5時半、気づくとJanuaryは起きて子どもたちのモスキーとネットをはずして、ミルクを与えていた。私は急いでマットをしまい、飲み終わった子どもたちのおしめを取り替えた。そうして7時から一人ひとりを入浴させ、いつもの見慣れた風景に戻ったのであった。
このNight Workerのシフトは1週間交替。私は一晩が精一杯である。本当に、Workerの皆さんお疲れ様ですm(_ _)m
2009年9月5日土曜日
えいさあ
リロングエから車で40分ほどいったNamiteteというところに、かの有名なマドンナ(彼女の2人の養子はマラウイ人なのである)が出資したConsole Homeがある。この施設は、託児所とHIV/AIDSを患った方たちへの職業訓練所が併設されている。そして現在、4人の青年海外協力隊員(JOCV)がその施設で様々な活動を行っている。今日はその託児所に通う子供たちのお遊戯会があるとのことで、友人の家族らと一緒に遊びにいった。(旦那はまたまた10日ほど不在 (ToT)/~~ or\(^o^)/???) さて、本日のプログラムを見ると、子どもから大人まで、最後はみんなでフォークダンスと参加者までもが楽しめる歌や踊りが予定されていた。中には、子どもたちが日本の歌、「ともだちになるために」を日本語と現地語の両方で手話を交えて歌ってくれたものもあった。彼女たちにとってわけのわからない日本語の歌、本当に一生懸命練習を重ねてきたのだと思う。私は日本語だったこともあり、子どもたちが歌う歌詞が、ダイレクトに胸に飛び込んできて、とても感動してしまった。 そして、日本でも直接みたことのなかった沖縄の伝統的な踊り「えいさあ」をここマラウイで初めてみることができた。なぜマラウイで「えいさあ」なのかというと、以前この施設で活動していた青年海外協力隊員の中に沖縄出身者がおり、その方が衣裳のセットと太鼓を沖縄の協会に寄付してもらい、踊りを教えていたからである。その踊りと衣裳が、現在も活動として引き継がれていた。紫や赤の鮮やかな衣裳と肌の黒がマッチしていてとてもかっこよかった。 そして私は、マラウイで少しでも日本を感じると心が温かくなるのは、やっぱり日本が好きだからだろうなと改めて思うのであった。
2009年8月30日日曜日
おでんパーティー
5月のザンビア旅行で友達になった日本人2人が、3泊4日のマラウイ旅行にやってきた(なにもないマラウイに数日でも遊びに来てくれたなんて、有難い(*^_^*))。そして今日は私の家で歓迎会。ザンビアはアフリカの中では田舎と言われているが、マラウイからみたら完全に都会である。そんなところからのお客様をどうおもてなししようかと数日前から案を練る。そして以下のメニューに決定!
* おでん
* 冷奴とナスの生姜揚げ
* サーモンとトマトのカルパッチョ
* 3色巻きおひたし
* カナッペ
* チーズソーセージ(ソース3種)
* スペアリブ
* カットフルーツ
* 抹茶とあずきのシフォンケーキ(生クリーム添え)
* 乾き物
今日は私たちも入れて合計6名と少人数なので、おでんを囲み会話を楽しんだ♪
さて、ここで今回はマラウイでおでんが食べれるまでの工程を記述する。まずは具材、玉子(茹でるだけ)、昆布(戻して結んだだけ)、人参とジャガイモ(寂しいので入れただけ)、するめ(だしの目的)は簡単に準備ができる。問題は残りの具材。
まずは「大根」、我が家の庭のはとても小さいので、夫の同僚が3ヶ月間大切に育ててきたものをお裾分けしていただいたものを使用。次に「こんにゃく」、粉を使って作成。水にこんにゃく粉を入れた後練り続け、30分放置した後、石灰カルシウムと戻したひじきを細かくしたものを混ぜ、また練る。そして30分以上放置した後に、30分茹で、使う前に灰汁抜きのためにまた茹でる。最後に「さつま揚げ」、3匹の魚を購入し、捌いた後に、細かくたたき、冷蔵庫で冷たくする。再び取り出し、砂糖、塩、水溶き片栗粉、卸し生姜、野菜のみじん切りを混ぜで再びたたいて粘りを出す。最後に成形をし揚げる(たまーにケニア出張者が冷凍の練り物をお土産に持ってきてくれるのだが)。
と、マラウイでおでんを食べるには、手間隙がとても掛かるのである。でも、やっぱり冬にお鍋を囲みたくなる誘惑には適いません。
* おでん
* 冷奴とナスの生姜揚げ
* サーモンとトマトのカルパッチョ
* 3色巻きおひたし
* カナッペ
* チーズソーセージ(ソース3種)
* スペアリブ
* カットフルーツ
* 抹茶とあずきのシフォンケーキ(生クリーム添え)
* 乾き物
今日は私たちも入れて合計6名と少人数なので、おでんを囲み会話を楽しんだ♪
さて、ここで今回はマラウイでおでんが食べれるまでの工程を記述する。まずは具材、玉子(茹でるだけ)、昆布(戻して結んだだけ)、人参とジャガイモ(寂しいので入れただけ)、するめ(だしの目的)は簡単に準備ができる。問題は残りの具材。
まずは「大根」、我が家の庭のはとても小さいので、夫の同僚が3ヶ月間大切に育ててきたものをお裾分けしていただいたものを使用。次に「こんにゃく」、粉を使って作成。水にこんにゃく粉を入れた後練り続け、30分放置した後、石灰カルシウムと戻したひじきを細かくしたものを混ぜ、また練る。そして30分以上放置した後に、30分茹で、使う前に灰汁抜きのためにまた茹でる。最後に「さつま揚げ」、3匹の魚を購入し、捌いた後に、細かくたたき、冷蔵庫で冷たくする。再び取り出し、砂糖、塩、水溶き片栗粉、卸し生姜、野菜のみじん切りを混ぜで再びたたいて粘りを出す。最後に成形をし揚げる(たまーにケニア出張者が冷凍の練り物をお土産に持ってきてくれるのだが)。
と、マラウイでおでんを食べるには、手間隙がとても掛かるのである。でも、やっぱり冬にお鍋を囲みたくなる誘惑には適いません。
2009年8月26日水曜日
My English Teacher
小学5年生で英語嫌いになってしまった私は、学生の頃に英語の授業を放棄してきたことを今でも後悔している。まさか、海外で英語を使って暮らすようになるとは、そんな未来がもし見えていたらどんなに頑張ったことか(@_@;)
そんな私も英語が不得意なことは変わらないものの、英語に対する姿勢は大分変わったと思う。マラウイに赴任し、自ら英語の先生を見つけて英会話を習っている。私の先生はフェニーという私の2歳下のマラウイ人女性である。彼女は公立の小学校で国語(英語)と算数の教鞭を執っている。彼女には毎週1回、1時間の授業を私の家でお願いしている。数年前に夫を亡くした彼女は、そのきゃしゃな身体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思うほど、女手一つで子どもを育て、家族を養っているのである。昨年の6月から授業を依頼しているのだが、明るくフレンドリーな彼女とは、勉強以外にも、一緒に旅行や買い物に行ったり、イベントに参加したりとし、今ではマラウイで一番の友人になった。
そんな彼女であるが、少し問題もある。それは、私が言える筋合いでもないが、英語のレベルが低い(-_-;)、最初の頃、私が書いた日記を修正してもらっていたのだが、ある日、そのノートをみた夫が、次々に修正をしていった。そして一言「文法がめっちゃくっちゃだ、、、」これまで、彼女が添削をしてくれたもののほとんどに間違いがあることがわかった。そのため、夫の案で彼女とは英会話だけをすることにした。それでも、マラウイ人のイントネーションは独特であり、例えば「5(ファイブ)」は「ファイビィ」となり、現地語と混じって単語の最後に「イ」が付くものが多いのである。私が朗読をしているときに、余りにも彼女の訂正するイントネーションがひどいと思ったときは、私もやむなく彼女の発音を指摘する。私の発音機能つきの電子辞書で単語の発音を二人で確認するのである。また、もともとおしゃべり好きの彼女は聞き役に回るのがどうも苦手なようで、一人で暴走してしまい、私がそれを制御するときもある。
こんなことを書いてしまうと、なんで他の人を探さないんだと思うかもしれないが、私は彼女が好きだし、マラウイが好きなのである。彼女とマラウイの過去、未来について話すことや新聞からホットな話題を抜き出し、それについてディスカッションをすることは、わたしの楽しみのひとつとなっている。そして、今日も彼女は私との会話を終え、「あー楽しかった」と言って帰っていった。
そんな私も英語が不得意なことは変わらないものの、英語に対する姿勢は大分変わったと思う。マラウイに赴任し、自ら英語の先生を見つけて英会話を習っている。私の先生はフェニーという私の2歳下のマラウイ人女性である。彼女は公立の小学校で国語(英語)と算数の教鞭を執っている。彼女には毎週1回、1時間の授業を私の家でお願いしている。数年前に夫を亡くした彼女は、そのきゃしゃな身体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思うほど、女手一つで子どもを育て、家族を養っているのである。昨年の6月から授業を依頼しているのだが、明るくフレンドリーな彼女とは、勉強以外にも、一緒に旅行や買い物に行ったり、イベントに参加したりとし、今ではマラウイで一番の友人になった。
そんな彼女であるが、少し問題もある。それは、私が言える筋合いでもないが、英語のレベルが低い(-_-;)、最初の頃、私が書いた日記を修正してもらっていたのだが、ある日、そのノートをみた夫が、次々に修正をしていった。そして一言「文法がめっちゃくっちゃだ、、、」これまで、彼女が添削をしてくれたもののほとんどに間違いがあることがわかった。そのため、夫の案で彼女とは英会話だけをすることにした。それでも、マラウイ人のイントネーションは独特であり、例えば「5(ファイブ)」は「ファイビィ」となり、現地語と混じって単語の最後に「イ」が付くものが多いのである。私が朗読をしているときに、余りにも彼女の訂正するイントネーションがひどいと思ったときは、私もやむなく彼女の発音を指摘する。私の発音機能つきの電子辞書で単語の発音を二人で確認するのである。また、もともとおしゃべり好きの彼女は聞き役に回るのがどうも苦手なようで、一人で暴走してしまい、私がそれを制御するときもある。
こんなことを書いてしまうと、なんで他の人を探さないんだと思うかもしれないが、私は彼女が好きだし、マラウイが好きなのである。彼女とマラウイの過去、未来について話すことや新聞からホットな話題を抜き出し、それについてディスカッションをすることは、わたしの楽しみのひとつとなっている。そして、今日も彼女は私との会話を終え、「あー楽しかった」と言って帰っていった。
2009年8月20日木曜日
エチオピアン料理
リロングェにはエチオピアレストランが1軒ある。前回の夫の赴任先がエチオピアだったことを考えると、マラウイに赴任して1年と8ヶ月、とっくに行っていてもよさそうである。しかし、私たちはそのレストランに今日はじめて足を踏み入れた。レストランの中は、マラウイとは思えないくらいおしゃれに飾られていた。エチオピアの絵や木彫り、カゴなど私は1週間だけ旅行にいったことがあるが、とても懐かしく感じられた。
エチオピアのメイン料理は“インジェラ”と言われる分厚いクレープが発酵したようなもの。エチオピア人はこの大きく分厚いインジェラを囲んで食事を楽しむのである。私たちは、同じ時期にエチオピアで働いていたもう一組の夫婦を誘い、4人でインジェラを囲んだ。メニューは、エチオピア時代に3食インジェラを食べていたというインジェラ通の友人(男性の方)に選択してもらった。
なぜ、私たちがこれまでエチオピアレストランに行かなかったかというと、実は二人ともそんなに好きではなかったからである。しかし、このレストランのインジェラは、エチオピア人には物足りないかもしれないが、余り発酵が進んでおらず、すっぱさがマイルドでとても食べやすかった。そして3種類のソースはどれもおいしかった。私が頼んだ飲み物は、蜂蜜を発酵させたワインで“Taj”というもの、これもまたおいしくいただいた♪
友人は「マラウイに来て一番幸せだ!」と言ってしまうくらい、懐かしさに感動していたようである。これまで夫の同僚との食事会の選択肢に含まれていなかったレストランであるが、今度みんなにも勧めてみよう!
エチオピアのメイン料理は“インジェラ”と言われる分厚いクレープが発酵したようなもの。エチオピア人はこの大きく分厚いインジェラを囲んで食事を楽しむのである。私たちは、同じ時期にエチオピアで働いていたもう一組の夫婦を誘い、4人でインジェラを囲んだ。メニューは、エチオピア時代に3食インジェラを食べていたというインジェラ通の友人(男性の方)に選択してもらった。
なぜ、私たちがこれまでエチオピアレストランに行かなかったかというと、実は二人ともそんなに好きではなかったからである。しかし、このレストランのインジェラは、エチオピア人には物足りないかもしれないが、余り発酵が進んでおらず、すっぱさがマイルドでとても食べやすかった。そして3種類のソースはどれもおいしかった。私が頼んだ飲み物は、蜂蜜を発酵させたワインで“Taj”というもの、これもまたおいしくいただいた♪
友人は「マラウイに来て一番幸せだ!」と言ってしまうくらい、懐かしさに感動していたようである。これまで夫の同僚との食事会の選択肢に含まれていなかったレストランであるが、今度みんなにも勧めてみよう!
2009年8月16日日曜日
Likoma Island-3日目-
睡眠不足でありながらも、寝ているのをもったいなく感じ 、朝“Kaya Mawa”の中をひとりお散歩、自分が見た景色をカメラに収めていた。本当にきれいなところである。朝食後も、最後まで楽しみたい私はさっさと着替えてぎりぎりまで泳いでいた。後ろ髪引かれまくりである。
そうして、あっという間に旅の終わりが近づき、最後は“魔のフライト1時間”で締めくくられた。
楽しい思い出をありがとうございましたm(_ _)m
そうして、あっという間に旅の終わりが近づき、最後は“魔のフライト1時間”で締めくくられた。
楽しい思い出をありがとうございましたm(_ _)m
2009年8月15日土曜日
Likoma Island-2日目-
早朝、細い棒で組み立てただけのLodgeの壁から入ってくる様々な昆虫の羽根音で目が覚める。すがすがしい目覚めとは程遠い(-_-;)。それでもドアを開け、目の前に広がる湖を見ると「あー気持ちい♪」と思いっきり伸びがしたくなる。
昨日道端で購入したバナナと小魚を朝食にし、今日から私たちは別世界へ行く!本日のお宿は、マラウイ高級ホテルのひとつ“Kaya Mawa”、これまで私が泊まったホテルの中でも一番高いリゾートコテージである。
“Kaya Mawa”とはマラウイの現地語でMaybe Tomorrowという意味。極力自然を活かした作りは、施工から5年を費やして完成した10の部屋とダイニングルーム、オフィスからなる。これらの建設は、オーナーが島の住民を雇い、ほぼ手作業で行なわれた。そして、そのオーナーはオープンしたこのコテージの従業員を全て工事に携わってきた島の住民にしたのである。すばらしいのは、10の点在するひとつひとつの部屋には鍵がないこと。彼らは「自分たちの中にはお客様の物を盗むものはいない」と自信をもって記述しているのである。このようなことは、深い信頼関係なくしてできることではない。
迎えのモーターボートに乗り、午前中に着いた私たちは早速水着に着替えて、海にダイブ\(^o^)/。マラウイ湖は日本の熱帯魚ファンにはたまらない珍しい品種の魚がいると以前日本にいる友人が教えてくれた。しかし、浜辺近くでシュノーケリングをしていた私には、今朝食べたであろう小魚にしか出会えなかった^_^;。それでも、最近めっきりと温かくなり、泳ぐには最高!夫は久々ヨットにも乗っていたが、どうやらヨットの調子が悪かったようで、すぐに引き返してきてしまった。残念、操作に慣れたら乗せてもらおうと思っていたのに。
昼食後も泳いだり、読書をしたり、昼寝したり、散歩にいったりとそれぞれ好きなことをして過ごした。夕食は好きな場所を指定でき、友人がダイニングルームから少し離れた静かな場所をアレンジしてくれた。シャンパンで乾杯をし、レバーパテ、アヒルのマッシュルームソースとおいしい食事に舌つづみ♪そして、ウエイターが「次のバースデーケーキが最後です」といい、去っていった。んっ!?そう、今日は私の○○歳の誕生日、友人らがサプライズで用意してくれていたのである。友人が「何でウエイター言っちゃうのー。」と言っていたけど、マラウイ人らしくて笑ってしまった。
食後は、部屋に戻り持ってきたワインで飲みなおし、夜中の2時まで皆で楽しくおしゃべりをした。最高の誕生日に乾杯-☆

昨日道端で購入したバナナと小魚を朝食にし、今日から私たちは別世界へ行く!本日のお宿は、マラウイ高級ホテルのひとつ“Kaya Mawa”、これまで私が泊まったホテルの中でも一番高いリゾートコテージである。
“Kaya Mawa”とはマラウイの現地語でMaybe Tomorrowという意味。極力自然を活かした作りは、施工から5年を費やして完成した10の部屋とダイニングルーム、オフィスからなる。これらの建設は、オーナーが島の住民を雇い、ほぼ手作業で行なわれた。そして、そのオーナーはオープンしたこのコテージの従業員を全て工事に携わってきた島の住民にしたのである。すばらしいのは、10の点在するひとつひとつの部屋には鍵がないこと。彼らは「自分たちの中にはお客様の物を盗むものはいない」と自信をもって記述しているのである。このようなことは、深い信頼関係なくしてできることではない。
迎えのモーターボートに乗り、午前中に着いた私たちは早速水着に着替えて、海にダイブ\(^o^)/。マラウイ湖は日本の熱帯魚ファンにはたまらない珍しい品種の魚がいると以前日本にいる友人が教えてくれた。しかし、浜辺近くでシュノーケリングをしていた私には、今朝食べたであろう小魚にしか出会えなかった^_^;。それでも、最近めっきりと温かくなり、泳ぐには最高!夫は久々ヨットにも乗っていたが、どうやらヨットの調子が悪かったようで、すぐに引き返してきてしまった。残念、操作に慣れたら乗せてもらおうと思っていたのに。
昼食後も泳いだり、読書をしたり、昼寝したり、散歩にいったりとそれぞれ好きなことをして過ごした。夕食は好きな場所を指定でき、友人がダイニングルームから少し離れた静かな場所をアレンジしてくれた。シャンパンで乾杯をし、レバーパテ、アヒルのマッシュルームソースとおいしい食事に舌つづみ♪そして、ウエイターが「次のバースデーケーキが最後です」といい、去っていった。んっ!?そう、今日は私の○○歳の誕生日、友人らがサプライズで用意してくれていたのである。友人が「何でウエイター言っちゃうのー。」と言っていたけど、マラウイ人らしくて笑ってしまった。
食後は、部屋に戻り持ってきたワインで飲みなおし、夜中の2時まで皆で楽しくおしゃべりをした。最高の誕生日に乾杯-☆
2009年8月14日金曜日
Likoma Island-1日目-
国土の20%を占めるマラウイ湖には、モザンビークとの国境がある。リコマ島は、その湖のモザンビーク領の中に位置するが、なぜかこの島はマラウイ領となっている。金銭的にもアクセス的にも遠いリコマ島、マラウイ在住2年の間に行けるとは思ってもみなかったが、先月友人に軽く誘われてから、あれよあれよと言う間に7人参加の2泊3日の旅が決まった。
リロングェからはセスナをチャーターし、1時間で着いた。週に1便出ている船では丸1日かかってしまうのである。“セスナで1時間”なんといい響き♪しかし、現実は数名が飛行機酔いとの戦いとなった(@_@;)
1日目は1泊US$10の安宿である。当然出迎えなどはない。おまけにこの島にはタクシーもない。飛行機酔いが抜けきってない状態で、ヒッチハイクをした荷台の後ろに揺られ、その後、各自荷物を持って徒歩15分、やっと到着。丁度昼に着いた私たちはまずのどの渇きを癒そうと定番グリーン(マラウイで一番消費されているビール)を注文した。が、まさかの品切れ!夕飯までには間に合うと言われちょっとがっかり(>_<)そしてランチは思いっきり魚を食べるぞ!と意気込んだものの、「魚メニューは無い」と目の前の湖を見ながら従業員が言うではないか。怒った日本人7人、さあ、これからどうなる。
気を取り直して、サンドイッチ、スパゲティ、ピザを食べ、その後は自由行動となった。私は、保健関連の職種の友人2人とこの島に唯一ある病院を訪問した。片道徒歩45分、いい運動である。そしてラッキーなことに病院の隣には、マラウイいち大きな教会があり、そこも見学した。再びラッキーなことに見学終了後、タイミングよくパトカーが通ったので、ヒッチハイクをしてすんなり帰ることができた(途中ビールを見つけて寄り道をしてしまったが)。
夫はスイミング、他のメンバーは読書や地元の子どもと遊んだりとそれぞれ楽しんだようである。シャワーを浴びた後、団欒をしていると夕食の知らせがきた。メニューはなんとびっくり“フィッシュカレー”、選択肢はビーフか野菜かといわれたのに、従業員の皆さん、頑張ってくださいました(ToT)/~~~みな、感動しながらいただいた。その後も団欒は続き、10時の消灯後は、ランプを受け取り星をみたりと島らしく、のんびり過ごしたのであった。
写真は1日目の宿、サバイバルでしょ!?
リロングェからはセスナをチャーターし、1時間で着いた。週に1便出ている船では丸1日かかってしまうのである。“セスナで1時間”なんといい響き♪しかし、現実は数名が飛行機酔いとの戦いとなった(@_@;)
1日目は1泊US$10の安宿である。当然出迎えなどはない。おまけにこの島にはタクシーもない。飛行機酔いが抜けきってない状態で、ヒッチハイクをした荷台の後ろに揺られ、その後、各自荷物を持って徒歩15分、やっと到着。丁度昼に着いた私たちはまずのどの渇きを癒そうと定番グリーン(マラウイで一番消費されているビール)を注文した。が、まさかの品切れ!夕飯までには間に合うと言われちょっとがっかり(>_<)そしてランチは思いっきり魚を食べるぞ!と意気込んだものの、「魚メニューは無い」と目の前の湖を見ながら従業員が言うではないか。怒った日本人7人、さあ、これからどうなる。
気を取り直して、サンドイッチ、スパゲティ、ピザを食べ、その後は自由行動となった。私は、保健関連の職種の友人2人とこの島に唯一ある病院を訪問した。片道徒歩45分、いい運動である。そしてラッキーなことに病院の隣には、マラウイいち大きな教会があり、そこも見学した。再びラッキーなことに見学終了後、タイミングよくパトカーが通ったので、ヒッチハイクをしてすんなり帰ることができた(途中ビールを見つけて寄り道をしてしまったが)。
夫はスイミング、他のメンバーは読書や地元の子どもと遊んだりとそれぞれ楽しんだようである。シャワーを浴びた後、団欒をしていると夕食の知らせがきた。メニューはなんとびっくり“フィッシュカレー”、選択肢はビーフか野菜かといわれたのに、従業員の皆さん、頑張ってくださいました(ToT)/~~~みな、感動しながらいただいた。その後も団欒は続き、10時の消灯後は、ランプを受け取り星をみたりと島らしく、のんびり過ごしたのであった。
写真は1日目の宿、サバイバルでしょ!?
2009年8月10日月曜日
友人との再会を祝って
先日、夫が仕事関係の会合に出席したときのことである。英国で大学院に通っていた頃のマラウイ人の友人と約10年ぶりに偶然の再会をした。夫は大学院時代にマラウイ人の友人がいたことを覚えていたものの連絡先がわからず、赴任して1年以上たっても彼の存在に気づかなかったのだが、なんと彼は私たちと同じ地域の目と鼻の先に住んでいたのである。
そして今週末は、友人とその家族を我が家のランチに招いた。事前に宗教上の理由でアルコールと豚肉を摂らないことと、2人の子どもが来ることがわかっていたので、メニューは子どもの好きそうなビーフカレーや唐揚げなどを用意した。日本のカレーは比較的どこの国の人にもウケルと思ったのだが、用意している段階で、どのメーカーのルーの箱の成分表示にも“ポークエキス”と記入されていることに気づき、がっくり(_ _)。。。ルーから作らねばならなかった。
当日、子どもたちは結婚式に出席するようなシャツと革靴でかっこよくキメてきてくれた(^_-)-☆彼らは私立の小学校に通い、英才教育を受けているようで家の中でも英語で会話をし、しぐさもおしゃまな感じがした。夫の友人はよく笑い、すてきなお父さんの雰囲気をかもし出していた。「学生時代の寮でもいつもやさしく話しかけてくれていた。」と夫が言うように、ちょっとぽっちゃりしていて、フレンドリーで典型的なマラウイ人であり、とても良い感じの人だった。
食事中は子どもたちの緊張がなかなか取れずに気になってしまったが、カンフー映画のDVDをみせてあげると、大きな声で笑い、最後にはお父さんが「もうそろそろおいとましようか?」というのに、二人が声をそろえて「もっと居る!」と言ったので、嬉しくなってしまった。
これからもよろしくね(^_^)v
そして今週末は、友人とその家族を我が家のランチに招いた。事前に宗教上の理由でアルコールと豚肉を摂らないことと、2人の子どもが来ることがわかっていたので、メニューは子どもの好きそうなビーフカレーや唐揚げなどを用意した。日本のカレーは比較的どこの国の人にもウケルと思ったのだが、用意している段階で、どのメーカーのルーの箱の成分表示にも“ポークエキス”と記入されていることに気づき、がっくり(_ _)。。。ルーから作らねばならなかった。
当日、子どもたちは結婚式に出席するようなシャツと革靴でかっこよくキメてきてくれた(^_-)-☆彼らは私立の小学校に通い、英才教育を受けているようで家の中でも英語で会話をし、しぐさもおしゃまな感じがした。夫の友人はよく笑い、すてきなお父さんの雰囲気をかもし出していた。「学生時代の寮でもいつもやさしく話しかけてくれていた。」と夫が言うように、ちょっとぽっちゃりしていて、フレンドリーで典型的なマラウイ人であり、とても良い感じの人だった。
食事中は子どもたちの緊張がなかなか取れずに気になってしまったが、カンフー映画のDVDをみせてあげると、大きな声で笑い、最後にはお父さんが「もうそろそろおいとましようか?」というのに、二人が声をそろえて「もっと居る!」と言ったので、嬉しくなってしまった。
これからもよろしくね(^_^)v
2009年8月9日日曜日
My Car
今年に入ってずっと調子の悪い我が家の車。直しては復活し、また調子が悪くなりを繰り返していた。そして3ヶ月前、とうとう20km/時しかでなくなってしまった。
これでは、一般道路を走ることは困難である。修理屋さんに原因を探してもらったところ、日本の部品が必要とのことで、早速注文。ちょっとしたミスがあり、2度の注文で2ヶ月ほどかかったのだが、折角お金と時間をかけて直したと思ったら、原因が違うところにもあったという始末。結局ギアボックスを交換しないといけないといわれ、その予算がMK15万(日本円で10万円以上!)。最初に原因を間違えられたことと、金額が高いことから、セカンドオピニオンを探すことにした。
友人に教えてもらったのは南アフリカ人が経営する“SIMMS Electrical and diesel Services”という修理屋さんで、日本人には余り知られていないところである。どきどきしながら、これまでの経過を説明し、検査のために同乗しながら運転をしてもらったところ、「今、いくつかの原因が考えられるから、コンピューターできちんと調べるよ」と言われた。これまでの修理屋さんとの対応の違いに、断然期待が高まる\(^o^)/
待つこと数日、「車内のコンピュータシステムが壊れていたので、それを直して調べなおしたら、原因がひとつに絞れたよ」との回答。「やったー!」しかもオーナーは「南アフリカでも部品は買えるけど、あなたは日本人なのだから、日本からオリジナルの部品を取り寄せるべきだよ。その方が断然安いし」とアドバイスをしてくれた。そして3週間ほどで部品を手に入れ、2日間で修理終了!掛かった予算は部品取り付け代のMK5000と日本から取り寄せた分の約4万円。さらに、3ヶ月の保証つき!
今日で6日目、我が家の車は絶好調である♪
この修理屋さんを教えてくれた友人と何度も部品の注文に対応してくれた親に感謝!
これでは、一般道路を走ることは困難である。修理屋さんに原因を探してもらったところ、日本の部品が必要とのことで、早速注文。ちょっとしたミスがあり、2度の注文で2ヶ月ほどかかったのだが、折角お金と時間をかけて直したと思ったら、原因が違うところにもあったという始末。結局ギアボックスを交換しないといけないといわれ、その予算がMK15万(日本円で10万円以上!)。最初に原因を間違えられたことと、金額が高いことから、セカンドオピニオンを探すことにした。
友人に教えてもらったのは南アフリカ人が経営する“SIMMS Electrical and diesel Services”という修理屋さんで、日本人には余り知られていないところである。どきどきしながら、これまでの経過を説明し、検査のために同乗しながら運転をしてもらったところ、「今、いくつかの原因が考えられるから、コンピューターできちんと調べるよ」と言われた。これまでの修理屋さんとの対応の違いに、断然期待が高まる\(^o^)/
待つこと数日、「車内のコンピュータシステムが壊れていたので、それを直して調べなおしたら、原因がひとつに絞れたよ」との回答。「やったー!」しかもオーナーは「南アフリカでも部品は買えるけど、あなたは日本人なのだから、日本からオリジナルの部品を取り寄せるべきだよ。その方が断然安いし」とアドバイスをしてくれた。そして3週間ほどで部品を手に入れ、2日間で修理終了!掛かった予算は部品取り付け代のMK5000と日本から取り寄せた分の約4万円。さらに、3ヶ月の保証つき!
今日で6日目、我が家の車は絶好調である♪
この修理屋さんを教えてくれた友人と何度も部品の注文に対応してくれた親に感謝!
2009年8月6日木曜日
アジアの会
マラウイは珍しいことに日本人会というものが存在しない。その代わりといってはなんだが、ほとんどの日本人夫人らは、このアジアの会のメンバーである。この会が正式に発足したのは、定かではないが2005年なので、比較的新しい会といっていいだろう。当時国交があった台湾の方々が友人らに呼びかけ、月一度の交流会(お茶会)をおこなったのが始まりである。残念なことに、昨年マラウイは台湾との国交を打ち切り、中国との国交を始めたため、台湾の方々は帰国してしまった。
そして今日は、その交流会を我が家で開催したのである。我が家はアパートのため、他の友人らが住む家よりも小さいことが気になり、これまでアジアの会の会場として提供したことがなかった。しかし、8月はインターナショナルスクールの夏季休暇であり、多くの方が帰国をしているため、参加人数が多くても20人くらいであろうと見積り、今回ホストとして手をあげた。
これを機に、いつも倉庫に使っていた1階の一部屋を大掃除。敷地内に常駐している庭師兼大工の方に協力してもらい、壁もきれいにペンキを塗りなおしてもらった。そしてゲスト用のトイレは、この国の人たちが愛用している“チテンジ”といわれる布で、マットやトイレカバー、カーテン、ペパーホルダーのセットを手作りした(ちょっとはりきりすぎ!?)。前日は、隣に住む夫の同僚に、ソファー、テーブル、食器、ポット等を借り、お手伝いさんやドライバーさんと一緒に引越しのように運搬作業をおこなった。
そして当日、9時半の開始にあわせて、昨日作っておいたロールケーキを仕上げ、スティック野菜を盛り付け、お好み焼きを作りかけていたそのとき、すべての音が一瞬消えた(+o+)!ゲゲッ!なんともうすぐ始まろうとする9時、停電になってしまったのである。我が家にはジェネレーターがなく、唯一あるのはキャンプで使うような小さなパラフィンストーブのみ。電気の復活を願いつつ、そのストーブでお茶用のお湯を沸かし、作りかけのお好み焼きを完成させた。
9時半を過ぎ、皆が次々とやってきたが、相変わらず電気は復活しない。皆が持ってきてくれた一品を倉庫に使っていた部屋のテーブルに並べていったのだが、運悪く照明のないその部屋は暗かった。そのため、少し狭くなってしまうが料理をリビングルームとダイニングルームに運び、そこで食事をしながらおしゃべりをした。せっかく用意した音楽も流せず、ホスト役の私としてはちょっと残念(>_<)。でもこの月一度の交流会は唯一多くの友人に会える機会であり、貴重な情報交換の機会でもある。電気はなくとも人が集まれば楽しいことは間違いない。
最後まで電気はこなかったものの、無事終了(-。-)。お手伝いさんとドライバーさんと3人で残ったケーキやお菓子でお茶をした後、「よし、かたづけるか!」と腰を上げると、なんと電気が復活した。掃除するのに電気は必要ないんですけど。。。
まっこれが途上国の生活なのです^_^;
そして今日は、その交流会を我が家で開催したのである。我が家はアパートのため、他の友人らが住む家よりも小さいことが気になり、これまでアジアの会の会場として提供したことがなかった。しかし、8月はインターナショナルスクールの夏季休暇であり、多くの方が帰国をしているため、参加人数が多くても20人くらいであろうと見積り、今回ホストとして手をあげた。
これを機に、いつも倉庫に使っていた1階の一部屋を大掃除。敷地内に常駐している庭師兼大工の方に協力してもらい、壁もきれいにペンキを塗りなおしてもらった。そしてゲスト用のトイレは、この国の人たちが愛用している“チテンジ”といわれる布で、マットやトイレカバー、カーテン、ペパーホルダーのセットを手作りした(ちょっとはりきりすぎ!?)。前日は、隣に住む夫の同僚に、ソファー、テーブル、食器、ポット等を借り、お手伝いさんやドライバーさんと一緒に引越しのように運搬作業をおこなった。
そして当日、9時半の開始にあわせて、昨日作っておいたロールケーキを仕上げ、スティック野菜を盛り付け、お好み焼きを作りかけていたそのとき、すべての音が一瞬消えた(+o+)!ゲゲッ!なんともうすぐ始まろうとする9時、停電になってしまったのである。我が家にはジェネレーターがなく、唯一あるのはキャンプで使うような小さなパラフィンストーブのみ。電気の復活を願いつつ、そのストーブでお茶用のお湯を沸かし、作りかけのお好み焼きを完成させた。
9時半を過ぎ、皆が次々とやってきたが、相変わらず電気は復活しない。皆が持ってきてくれた一品を倉庫に使っていた部屋のテーブルに並べていったのだが、運悪く照明のないその部屋は暗かった。そのため、少し狭くなってしまうが料理をリビングルームとダイニングルームに運び、そこで食事をしながらおしゃべりをした。せっかく用意した音楽も流せず、ホスト役の私としてはちょっと残念(>_<)。でもこの月一度の交流会は唯一多くの友人に会える機会であり、貴重な情報交換の機会でもある。電気はなくとも人が集まれば楽しいことは間違いない。
最後まで電気はこなかったものの、無事終了(-。-)。お手伝いさんとドライバーさんと3人で残ったケーキやお菓子でお茶をした後、「よし、かたづけるか!」と腰を上げると、なんと電気が復活した。掃除するのに電気は必要ないんですけど。。。
まっこれが途上国の生活なのです^_^;
2009年8月3日月曜日
初代大統領メモリアル
週末の昨日は少し気温も上がりドライブ日和♪
首都にある2カ所の初代大統領のメモリアルを夫とふたりで訪問した。
初代大統領のカムズ・バンダ氏(1898年ころ生誕)は、マラウイで小学3年生まで教育を受けた後に、ジンバブエ、ナタール(ターバン)、ヨハネスブルグで働きながら教育を受け、教会の支援により医学分野で博士号をアメリカで取得した。後にロンドンで開業しながらアフリカの教育支援をしていたが、1958年にマラウイの独立を目指すNAC(Nyasaland African Congress)のリーダーに成るべくして帰国した(マラウイを知るための45章参照)。
ここまで聞くとなんと素晴らしい人だろう。と思うのであるが、1964年の独立以降は独裁政治に目覚めてしまい、税金の無駄遣いや職権乱用を繰り返したために、国民の批判が高まり、1994年の選挙により政権が交代した。そして1997年の11月25日に亡くなったのである。
今回、最初に訪問した場所は、その大統領が眠るお墓である。彼が亡くなった翌月にこの建物に遺体が収められたとのこと。写真中央の階段をのぼると造花できれいに飾られたレプリカのお墓があり、本物はこの建物の下で眠っている。Visitor’s Bookを見ると、この日だけでも訪問客が50名ほどいた。独裁政治を行ないはしたが、マラウイの独立を勝ち取り、初代大統領として国民を率いたことは評価されたということなのだろうか。
次に訪問した場所は、2007年に建てられたばかりの新しい時計塔である。上まで登ったらさぞかし眺めがきれいそうであるが、残念、鍵がかかっていた。手前にあるバンダ初代大統領の銅像の立ち姿がユニークでなんだか笑ってしまった。写真屋さんが常駐していたので、大統領が右手に持っているものは何かと質問をしてみたが、「“力”の意味だ」といわれたが具体的には何かわからなかった。
リロングェは首都としては珍しく、美術館や博物館が見当たらない。今回訪問した2ヶ所が唯一歴史を感じられる場所ではないかと思う(少しだけね)。
首都にある2カ所の初代大統領のメモリアルを夫とふたりで訪問した。
初代大統領のカムズ・バンダ氏(1898年ころ生誕)は、マラウイで小学3年生まで教育を受けた後に、ジンバブエ、ナタール(ターバン)、ヨハネスブルグで働きながら教育を受け、教会の支援により医学分野で博士号をアメリカで取得した。後にロンドンで開業しながらアフリカの教育支援をしていたが、1958年にマラウイの独立を目指すNAC(Nyasaland African Congress)のリーダーに成るべくして帰国した(マラウイを知るための45章参照)。
ここまで聞くとなんと素晴らしい人だろう。と思うのであるが、1964年の独立以降は独裁政治に目覚めてしまい、税金の無駄遣いや職権乱用を繰り返したために、国民の批判が高まり、1994年の選挙により政権が交代した。そして1997年の11月25日に亡くなったのである。
今回、最初に訪問した場所は、その大統領が眠るお墓である。彼が亡くなった翌月にこの建物に遺体が収められたとのこと。写真中央の階段をのぼると造花できれいに飾られたレプリカのお墓があり、本物はこの建物の下で眠っている。Visitor’s Bookを見ると、この日だけでも訪問客が50名ほどいた。独裁政治を行ないはしたが、マラウイの独立を勝ち取り、初代大統領として国民を率いたことは評価されたということなのだろうか。
次に訪問した場所は、2007年に建てられたばかりの新しい時計塔である。上まで登ったらさぞかし眺めがきれいそうであるが、残念、鍵がかかっていた。手前にあるバンダ初代大統領の銅像の立ち姿がユニークでなんだか笑ってしまった。写真屋さんが常駐していたので、大統領が右手に持っているものは何かと質問をしてみたが、「“力”の意味だ」といわれたが具体的には何かわからなかった。
リロングェは首都としては珍しく、美術館や博物館が見当たらない。今回訪問した2ヶ所が唯一歴史を感じられる場所ではないかと思う(少しだけね)。
2009年7月31日金曜日
The Warm Heart of Africa
この国のキャッチフレーズはタイトルに示した「アフリカの暖かい心」。その言葉のとおり、マラウイ人は温厚でフレンドリーな性格の人が多い。少し遠慮深いところなどは、日本人と似ているなと思う。また、西アフリカのように肌の色が完全に真っ黒ではなく、またエチオピアのように手足が長くスラッとした体系でもない。全体的に“ずんぐりむっくりした”その容姿からも愛嬌が感じられるのである(ほめ言葉(^_-)-☆)。
さて、そんなマラウイに住み1年と7ヶ月。これまでに心に残ったThe Warm Heart Peopleを書き残しておこうと思う。
*ミニバスの中で
ミニバス(乗り合いタクシー:ワゴン車)の中には、運転手さんの他に、運賃を集める添乗員さんがいる。私が一人旅をしていたとき(チョロからマクワサへ)のことである。ミニバスの一番後ろの席に座っていた私は、私の前に座っていた乗客を介して、ドアのすぐ隣に座っている添乗員さんに運賃を払おうとMK500を渡し、MK100をお釣りとして受け取った。
するとその私の前に座っていた乗客の男性は「どこまでいくの?」「マクワサだったらMK50お釣りが足りないね」といい、添乗員さんにもうMK50を請求して私に渡してくれたのである。
な~んて親切なマラウイ人(ToT)/~~~
マラウイのミニバスはタクシーとは違い、高額を吹っ掛けてくることはないが、やはり外国人にはほんの少し上乗せした値段を請求してくることもある。そんなときは、きっと周りの人は見て見ぬ振りだろうと思っていたので、とっさの彼の行動には感動した。
*ガードマン
私の住む2階建ての家はアパートのような構造で、敷地内に12件の家がある。ここでは、大家さんがセキュリティー会社に依頼しているガードマンが昼間は1人、夜間は2人+ドーベルマン1匹が24時間いつでも、私たちの安全を守ってくれている(はずである)。
そのガードマンの中のひとりに、私がここに住んでからずっと居て、一番信頼できるお気に入りの人がいた。あるときは、お手伝いさんやドライバーさんも含め、皆で一緒にランチをとったり、風邪を引いていたときはホッカイロをあげたりと仲良くさせてもらっていた。それが突然の異動により、ぱたっと会えなくなってしまった(ToT)/~~~
あー残念と思っていたら、ある日の夕方、誰かが私の家をノックしている。誰かと思いのぞいてみると、あのお気に入りのガードマンが目の前にいるではないか。私がドアを開け「久しぶり、どうしたの?」と尋ねると、彼は「突然の異動であいさつができなかったから、今出勤に向かう会社の車を少しの間待っていてもらい、マダムにあいさつにきた。」と言う。彼はわざわざ許可をとり、私の家まで訪ねてくれたのである。
心がぽっと温かくなる出来事であった♪
*グレイさん(我が家のお手伝いさん)
この国の農民は、とうもろこしの収穫時期となる4月から体重が増加し、新年を迎えると食料不足により体重が減少するといわれている。とうもろこしの収穫までもう少しとなる3月は、多くのマラウイ人が昨シーズンの蓄えが底をつき、家での食料が不足している。
そんな大変な時期がもうすぐ終わろうとする3月下旬、我が家の食糧庫や冷蔵庫に食べ物が溢れている状況を知っているにも関わらず、グレイさんは昨年に引き続き今年も初収穫物のとうもろこしとオクラを私たちにプレゼントしてくれたのである。前日に獲ったフレッシュなとうもろこしを夫と私はありがた~くいただいた。
以上が、私のベスト3である。これからも、温かい出会いがありますように♪
さて、そんなマラウイに住み1年と7ヶ月。これまでに心に残ったThe Warm Heart Peopleを書き残しておこうと思う。
*ミニバスの中で
ミニバス(乗り合いタクシー:ワゴン車)の中には、運転手さんの他に、運賃を集める添乗員さんがいる。私が一人旅をしていたとき(チョロからマクワサへ)のことである。ミニバスの一番後ろの席に座っていた私は、私の前に座っていた乗客を介して、ドアのすぐ隣に座っている添乗員さんに運賃を払おうとMK500を渡し、MK100をお釣りとして受け取った。
するとその私の前に座っていた乗客の男性は「どこまでいくの?」「マクワサだったらMK50お釣りが足りないね」といい、添乗員さんにもうMK50を請求して私に渡してくれたのである。
な~んて親切なマラウイ人(ToT)/~~~
マラウイのミニバスはタクシーとは違い、高額を吹っ掛けてくることはないが、やはり外国人にはほんの少し上乗せした値段を請求してくることもある。そんなときは、きっと周りの人は見て見ぬ振りだろうと思っていたので、とっさの彼の行動には感動した。
*ガードマン
私の住む2階建ての家はアパートのような構造で、敷地内に12件の家がある。ここでは、大家さんがセキュリティー会社に依頼しているガードマンが昼間は1人、夜間は2人+ドーベルマン1匹が24時間いつでも、私たちの安全を守ってくれている(はずである)。
そのガードマンの中のひとりに、私がここに住んでからずっと居て、一番信頼できるお気に入りの人がいた。あるときは、お手伝いさんやドライバーさんも含め、皆で一緒にランチをとったり、風邪を引いていたときはホッカイロをあげたりと仲良くさせてもらっていた。それが突然の異動により、ぱたっと会えなくなってしまった(ToT)/~~~
あー残念と思っていたら、ある日の夕方、誰かが私の家をノックしている。誰かと思いのぞいてみると、あのお気に入りのガードマンが目の前にいるではないか。私がドアを開け「久しぶり、どうしたの?」と尋ねると、彼は「突然の異動であいさつができなかったから、今出勤に向かう会社の車を少しの間待っていてもらい、マダムにあいさつにきた。」と言う。彼はわざわざ許可をとり、私の家まで訪ねてくれたのである。
心がぽっと温かくなる出来事であった♪
*グレイさん(我が家のお手伝いさん)
この国の農民は、とうもろこしの収穫時期となる4月から体重が増加し、新年を迎えると食料不足により体重が減少するといわれている。とうもろこしの収穫までもう少しとなる3月は、多くのマラウイ人が昨シーズンの蓄えが底をつき、家での食料が不足している。
そんな大変な時期がもうすぐ終わろうとする3月下旬、我が家の食糧庫や冷蔵庫に食べ物が溢れている状況を知っているにも関わらず、グレイさんは昨年に引き続き今年も初収穫物のとうもろこしとオクラを私たちにプレゼントしてくれたのである。前日に獲ったフレッシュなとうもろこしを夫と私はありがた~くいただいた。
以上が、私のベスト3である。これからも、温かい出会いがありますように♪
2009年7月26日日曜日
安眠Goods(-。-)y-゜゜゜
2009年7月24日金曜日
石を産んだ女性
7月14日(火)の新聞THE NATIONのトップ記事が「ムランジェの女性が石を産んだ」というものだった。マラウイはこんな内容が新聞のトップを飾れるのである。
さて内容は、週末に陣痛が始まった女性(20)は、伝統的産婆さんの勧めにより、県病院に連れて行かれた。そして、そこの医師が取り上げたのは、なんと300gの石のような物体であった。
彼女は以前にも同じ経験をしている。そして今回、彼女が妊娠したときの伯父の言葉が波紋を呼んだのである。「彼女は石を産む」と。村長はこれを「黒魔術」として、その伯父を逮捕しようとし、夫と夫の母親は離婚を望むという。
「そんなアホな(゜o゜)。誰か調べてあげて」というのが、私の率直な感想であった。すると、今度は7月22日(水)の新聞に「石の子ども今日検査へ」という記事が出ていた。医師の仮説としては、子宮内の腫瘍か、石灰物の塊ではとのこと。なにはともあれ、検査をしてもらえることはよかった。よかった。でもそうなると気になるのは検査結果。次の日も新聞を買うことにした。
7月23日(木)。検査の結果、石はただの自然物であった。つまり、外部にある石を故意に入れたか、そう見せかけたのか。出産までの過程はわからないが、自然界に存在するただの「石」だったのである。まあ、いろいろな想像はできるが、検査結果に納得するのが日本人。
しかし、マラウイ人はさあ大変。新聞にはインタビューを受けた人たちのコメントがあり、「あれは黒魔術だと信じている」というし、夫の職場の人やゴルフのキャディーまでもが、「当たり前じゃないか、あれは黒魔術だ」というではないか。
マラウイでは、黒魔術は実在するそうである。。。
さて内容は、週末に陣痛が始まった女性(20)は、伝統的産婆さんの勧めにより、県病院に連れて行かれた。そして、そこの医師が取り上げたのは、なんと300gの石のような物体であった。
彼女は以前にも同じ経験をしている。そして今回、彼女が妊娠したときの伯父の言葉が波紋を呼んだのである。「彼女は石を産む」と。村長はこれを「黒魔術」として、その伯父を逮捕しようとし、夫と夫の母親は離婚を望むという。
「そんなアホな(゜o゜)。誰か調べてあげて」というのが、私の率直な感想であった。すると、今度は7月22日(水)の新聞に「石の子ども今日検査へ」という記事が出ていた。医師の仮説としては、子宮内の腫瘍か、石灰物の塊ではとのこと。なにはともあれ、検査をしてもらえることはよかった。よかった。でもそうなると気になるのは検査結果。次の日も新聞を買うことにした。
7月23日(木)。検査の結果、石はただの自然物であった。つまり、外部にある石を故意に入れたか、そう見せかけたのか。出産までの過程はわからないが、自然界に存在するただの「石」だったのである。まあ、いろいろな想像はできるが、検査結果に納得するのが日本人。
しかし、マラウイ人はさあ大変。新聞にはインタビューを受けた人たちのコメントがあり、「あれは黒魔術だと信じている」というし、夫の職場の人やゴルフのキャディーまでもが、「当たり前じゃないか、あれは黒魔術だ」というではないか。
マラウイでは、黒魔術は実在するそうである。。。
2009年7月21日火曜日
美容院体験リポート(^_^)/
今日はマラウイでの美容院初体験の日。これまでは、半年毎の日本帰国時に済ませていたのだが、年末から7ヶ月もほったらかしていた。そこで、マラウイ在住歴の長い友人にすすめられたCross Road Hotel内の美容院へいった。見た感じはとてもおしゃれでGood!事前にリサーチしたヘアースタイルをどきどきしながらオーダーしてみたが、すんなりOKシャンプー台へと移動した。
ホットシャワーが故障中^_^;とのことで、お湯をどこからか運んでくる。その待ち時間に、目の前に座ってパーマの髪を温めていた人の機器が終了の合図をした。すると、彼女は機器をはずし、カバーやカーラーを取り始めた「げげっ、ここはセルフサービスか!?」と思いどきどきしながら動向を観察した。そして、洋服カバーをはずしたところで、ホッと一安心。なーんだ、店員さんか。っておい\(゜o゜)。彼女は、制服を着たままパーマをし、そのまま仕事に戻りました^_^;
さて、前髪を短く切られた私は、ここまでの過程が順調とは言えないもののパーマに突入した。目、鼻、喉にパーマ液がむせ返る。そして、昔日本でもみたことのあるヘルメットのような保温機に頭が納められた。風が外に向かって流れるので深く息をすると髪につけたパーマ液でむせるし、何しろ音がうるさい。日本も両親が私くらいの時に、おしゃれを楽しもうとパーマをかけた場合、こんな気分だったのではなかろうか、とここでの苦労も体験として楽しむことができた。
その後、熱さで温度を変えてもらったり、熱かったからと水シャワーで髪を洗われたりしながら、鏡の前に座らされた私はびっくり!なんだこのチリチリ頭は§*_*§しかも、店員さんは私に向かってこう言うではないか「このままがいい?それとも持ってきた写真のようにしたい?」。私は即行「オーダーした髪型で」といったが、当たり前だろう!でも、きっとこれが異文化なのである。たぶん店員さんはこっちの方がいけてるぞと思い、親切心で勧めてくれたのかもしれない。
そんなこんなで、なんとか持ってきた写真に近づけてもらい、本日の体験レポートは終了する。そうそう、値段はカットMK2200にパーマMK9000(合計1万円くらい)。ちなみに夫の行ったことのある中国人の床屋はMK1000。うちのドライバーさんの床屋はMK50。ということで、私は心の中で夫に謝るのであった。
ホットシャワーが故障中^_^;とのことで、お湯をどこからか運んでくる。その待ち時間に、目の前に座ってパーマの髪を温めていた人の機器が終了の合図をした。すると、彼女は機器をはずし、カバーやカーラーを取り始めた「げげっ、ここはセルフサービスか!?」と思いどきどきしながら動向を観察した。そして、洋服カバーをはずしたところで、ホッと一安心。なーんだ、店員さんか。っておい\(゜o゜)。彼女は、制服を着たままパーマをし、そのまま仕事に戻りました^_^;
さて、前髪を短く切られた私は、ここまでの過程が順調とは言えないもののパーマに突入した。目、鼻、喉にパーマ液がむせ返る。そして、昔日本でもみたことのあるヘルメットのような保温機に頭が納められた。風が外に向かって流れるので深く息をすると髪につけたパーマ液でむせるし、何しろ音がうるさい。日本も両親が私くらいの時に、おしゃれを楽しもうとパーマをかけた場合、こんな気分だったのではなかろうか、とここでの苦労も体験として楽しむことができた。
その後、熱さで温度を変えてもらったり、熱かったからと水シャワーで髪を洗われたりしながら、鏡の前に座らされた私はびっくり!なんだこのチリチリ頭は§*_*§しかも、店員さんは私に向かってこう言うではないか「このままがいい?それとも持ってきた写真のようにしたい?」。私は即行「オーダーした髪型で」といったが、当たり前だろう!でも、きっとこれが異文化なのである。たぶん店員さんはこっちの方がいけてるぞと思い、親切心で勧めてくれたのかもしれない。
そんなこんなで、なんとか持ってきた写真に近づけてもらい、本日の体験レポートは終了する。そうそう、値段はカットMK2200にパーマMK9000(合計1万円くらい)。ちなみに夫の行ったことのある中国人の床屋はMK1000。うちのドライバーさんの床屋はMK50。ということで、私は心の中で夫に謝るのであった。
2009年7月20日月曜日
Nkhotakotaの旅
久々の夫の休日、しかも3連休♪ということで、夫とふたりで旅をした。場所は、リロングェから車で4時間ほどのコタコタ、湖畔に面したリゾート地である。宿を前日に決めるなど、情報収集をあまりせずに当日を迎えてしまったため、行ってからその広さに気づく羽目となった(+o+)。今回の主な訪問場所であるコタコタのPottery(陶器製作所)とゴルフ場は、車で1時間以上も離れていたのである。
コタコタまでの道はカーブが多く、しかも丘を上ったり、下ったりの繰り返し。安全のためにゆっくりとドライブし、音楽や広大な景色を楽しんだ。道中の景色は、高い建物や木々が少なく視界がとても開けている。丘の上にたどり着いたときは、360度空を眺めることができ、とても気持ちがいい(~o~)
さて、そんなわけで1日目。あいにくの曇り空ではあったが、取りあえずハーフだけでも、とゴルフをした。このゴルフ場(Kasasa Club)、9ホールしかないものの、リロングェよりもグリーンが青々としており、バンカーもサラサラの砂地である。それが、たったの9ホールMK200(約150円)である。しかもキャディーフィーがなく、キャディーさんへのチップのみ。どうやって維持管理をしているのか不思議だ。ここは世界一安いゴルフ場ではないだろうか。
そして、その日の夕方にPottery Lodgeに戻った。部屋の数メートル先は、もう湖である。風が強く、海と同じような波の音を聞きながら、気持ちよく眠りにつくことができた☆☆☆
2日目、遅い朝食の後、陶器の絵付けをした。まず、好きな陶器を選ぶ。夫はミルク入れ、私はバター容器を選んだ。まず、Greaseという白い液に陶器を浸して乾かす。次に好きな色を選択し、絵付けスタートである。一度塗ってしまうと修正が利かないので、一発勝負!なかなか頭で描くようには筆が動いてくれない。そういえば、筆を手に持つのはどのくらいぶりだろうか。。。思い出せもしない(-_-)
できあがった作品は、翌日に直接受け取るか、リロングェの契約店などで受け取る(有料)ことができる。私たちは、翌日の昼に受け取ることにし、2日目の宿、Kasasa Clubに戻った。
さて、最終日。起きたらもう目の前はゴルフ場\(^o^)/すばらしい!昔、友人らとスキー場のゲレンデ内の宿に泊まったことを思い出した。今日は18ホール分を回った。丘が多く良い運動である。そして一昨日はわからなかったが、湖が遠くに広がっていた。ここはまさにリゾート地!湖から吹く風が強く、ボールのコントロールは難しいが、気持ちよくPlayできた。
帰路は、途中で私たちの作品を取りにいたり、道で野菜や焼きとうもころしを買ったりしながら、無事我が家に到着。楽しい3日間であった♪

コタコタまでの道はカーブが多く、しかも丘を上ったり、下ったりの繰り返し。安全のためにゆっくりとドライブし、音楽や広大な景色を楽しんだ。道中の景色は、高い建物や木々が少なく視界がとても開けている。丘の上にたどり着いたときは、360度空を眺めることができ、とても気持ちがいい(~o~)
さて、そんなわけで1日目。あいにくの曇り空ではあったが、取りあえずハーフだけでも、とゴルフをした。このゴルフ場(Kasasa Club)、9ホールしかないものの、リロングェよりもグリーンが青々としており、バンカーもサラサラの砂地である。それが、たったの9ホールMK200(約150円)である。しかもキャディーフィーがなく、キャディーさんへのチップのみ。どうやって維持管理をしているのか不思議だ。ここは世界一安いゴルフ場ではないだろうか。
そして、その日の夕方にPottery Lodgeに戻った。部屋の数メートル先は、もう湖である。風が強く、海と同じような波の音を聞きながら、気持ちよく眠りにつくことができた☆☆☆
2日目、遅い朝食の後、陶器の絵付けをした。まず、好きな陶器を選ぶ。夫はミルク入れ、私はバター容器を選んだ。まず、Greaseという白い液に陶器を浸して乾かす。次に好きな色を選択し、絵付けスタートである。一度塗ってしまうと修正が利かないので、一発勝負!なかなか頭で描くようには筆が動いてくれない。そういえば、筆を手に持つのはどのくらいぶりだろうか。。。思い出せもしない(-_-)
できあがった作品は、翌日に直接受け取るか、リロングェの契約店などで受け取る(有料)ことができる。私たちは、翌日の昼に受け取ることにし、2日目の宿、Kasasa Clubに戻った。
さて、最終日。起きたらもう目の前はゴルフ場\(^o^)/すばらしい!昔、友人らとスキー場のゲレンデ内の宿に泊まったことを思い出した。今日は18ホール分を回った。丘が多く良い運動である。そして一昨日はわからなかったが、湖が遠くに広がっていた。ここはまさにリゾート地!湖から吹く風が強く、ボールのコントロールは難しいが、気持ちよくPlayできた。
帰路は、途中で私たちの作品を取りにいたり、道で野菜や焼きとうもころしを買ったりしながら、無事我が家に到着。楽しい3日間であった♪
2009年7月16日木曜日
バイタミール工場見学
私の活動するNGOが運営するバイタミール(栄養強化ポリッジ:おかゆ)保管倉庫を一度見ておきたいとBossに相談したところ、快く了解をしていただいたので、もう一人のボランティアの方と一緒に見学に行った。
場所は、Lilongwe中心から車で40分ほど離れたところ、たくさんのバイタミールが製造順にきれいに保管されていた。そして、私たちが説明を受けている際にタイミングよく、新たなバイタミールが運ばれてきた。驚いたことに、20kgもの袋を女性がトラックの荷台から降ろしていた。「そうだっ。この国では、重たい水汲みや薪運びなども、老若男女問わずに行なわれているんだ。」と、この光景を見てあらためて思うのであった。
さて、保管倉庫の見学を終えた私たちは、ラッキーなことに近くにあるバイタミール製造工場まで連れて行ってもらえたのである。
そこでは、主な原料となるとうもろこしと大豆がバイタミールになるまでの工程をみることができた。まず、細かい埃を取り除き、ローストされた後、大きなゴミや不良な粒が人の手によりはじかれる。次に、計量されたとうもろこしと大豆が4:1の割合で機械によりミックスされ、その後粉状にされる。最後に、その粉とビタミン・ミネラルが特殊な技法により粉にされたものを定量ずつミックスし、パック詰めされるのである。
この工場では、自社による品質管理(主に水分量の測定)と定期的にMalawi Bureau of Standards(MBS:マラウイ品質管理局)による成分チェック・衛生チェックが行なわれている。しかもMBSの検査は隔週で行なわれているらしい。マラウイでは自国で製造されているものが少ないから、そのような頻度でできるのだな、とちょっとひねくれた見方をしてしまった。そして、バイタミールに関していえば、NGOで活動している私としては、品質管理をしていただいていることで安心して推奨できるので、とても有難いことである。
場所は、Lilongwe中心から車で40分ほど離れたところ、たくさんのバイタミールが製造順にきれいに保管されていた。そして、私たちが説明を受けている際にタイミングよく、新たなバイタミールが運ばれてきた。驚いたことに、20kgもの袋を女性がトラックの荷台から降ろしていた。「そうだっ。この国では、重たい水汲みや薪運びなども、老若男女問わずに行なわれているんだ。」と、この光景を見てあらためて思うのであった。
さて、保管倉庫の見学を終えた私たちは、ラッキーなことに近くにあるバイタミール製造工場まで連れて行ってもらえたのである。
そこでは、主な原料となるとうもろこしと大豆がバイタミールになるまでの工程をみることができた。まず、細かい埃を取り除き、ローストされた後、大きなゴミや不良な粒が人の手によりはじかれる。次に、計量されたとうもろこしと大豆が4:1の割合で機械によりミックスされ、その後粉状にされる。最後に、その粉とビタミン・ミネラルが特殊な技法により粉にされたものを定量ずつミックスし、パック詰めされるのである。
♪帰ってきた青春♯
私は中学2年生のとき、ユニコーンに一目ぼれし、解散までの数年間、熱中することになった。ユニコーンは私の青春の代名詞である。その証拠に、成人式の実行委員会になったときは、自ら音楽を担当し、青春の思い出として成人式でユニコーンの代表曲のひとつである“大迷惑”を流した(ユニコーンを知っている人は、なぜ“すばらしい日々”ではないんだ!と思うかもしれない)。
さて、そのユニコーン、今年に入ってまさかの“復活”。なんと16年ぶりに再結成されたのである。しかも、解散前に脱退してしまったリーダーの川西さんまで復活しているではないか。嬉しくって、早速アマゾンから直接CDを取り寄せた。

そして、最近は復活ライブのDVDが販売されたのだが、主婦の私は悩んだ末、帰国するまで我慢することにした。それが、昨夜夫がユニコーンのDVDを手に出張から帰宅したではないか!なんと、ブランタイヤに住む職場の方もユニコーンの大ファンで取り寄せた DVDを私に貸してくれたのである。
昨夜から、我が家はユニコーンのライブ祭りである♪
さて、そのユニコーン、今年に入ってまさかの“復活”。なんと16年ぶりに再結成されたのである。しかも、解散前に脱退してしまったリーダーの川西さんまで復活しているではないか。嬉しくって、早速アマゾンから直接CDを取り寄せた。
そして、最近は復活ライブのDVDが販売されたのだが、主婦の私は悩んだ末、帰国するまで我慢することにした。それが、昨夜夫がユニコーンのDVDを手に出張から帰宅したではないか!なんと、ブランタイヤに住む職場の方もユニコーンの大ファンで取り寄せた DVDを私に貸してくれたのである。
昨夜から、我が家はユニコーンのライブ祭りである♪
2009年7月14日火曜日
Japanese News
2009年7月13日月曜日
アルコール革命
日本では、4大酒企業のうちの2つ、キリンとサントリーの統合に向けた話し合いが話題となっている。経済に疎い私の心のなかでは、明治に創業してから使われているキリンのシンボルマークが消えて欲しくないなという思いと、世界に通用する企業となったら、海外で日本のビールが飲める機会が増えるかもという思いが交錯するのみである。
さて、私たちがマラウイで普段口にするお酒は、主に外国産では南アフリカのワイン、そして国内産ではブランタイヤに工場を持つデンマークの“カールスバーグ”のビールとなる。ビールの種類は豊富だが、私はもっぱら「グリーン」を愛飲している(アルコール度数4.7%)。333mlでケースだと1本約MK80、レストランでもMK200(約150円)前後で飲める。この国の酒税は安く、お酒はお手ごろ価格で購入できる。

ところが、そうはいっても安いと感じるのは自国と比べている日本人だからだろう。マラウイ人の多くにとって、ビールは手軽に購入できるものではない。そこで、地元の人が飲むアルコールは、マラウイ版の“どぶろく”がメインとなり、材料はミレット、とうもろし、サトウキビなどとイーストが使われている。中でも国から認可されているどぶろくは、工場生産された“チブク”というもので、赤青白の縞模様が入った牛乳パックのような容器で売られている。値段は1リットルMK70。タダなら飲むけど、お金を払って飲みたくない程度の味である。このシンボルカラーは目に着きやすいので、建物がこの3色に塗られていれば、すぐにそこが“チブクバー”であることが判断できる。

その他によく飲まれているのは、蒸留酒である。認可されている“マラウイジン”などは、ちょっとしたお土産として重宝されている。しかし、地元で飲まれているのは未認可の“カチャーソ”と呼ばれるもの。今回は、そのカチャーソ作りの現場に足を踏み入れた。
酒造りは、小さな小屋の中でおこなわれている。土器のような瓶にとうもろこしを搗精したときにでるカスと砂糖、イーストを入れ、寝かして置く。発酵した後は、それにふたをし、上部にはパイプを通す。瓶を火にかけると中で蒸発したアルコールがパイプに流れる、そこでパイプを冷やして、蒸発した液体を容器に収めるといった具合である。なかなか面白いシステムであった。
試飲させてもらうと思ったよりもすっきりとしていたが、エタノールのような感覚もあった。ちょっと悪酔いしそうな味なので、そうたくさん飲み続けないほうが賢明であろう。
さて、私たちがマラウイで普段口にするお酒は、主に外国産では南アフリカのワイン、そして国内産ではブランタイヤに工場を持つデンマークの“カールスバーグ”のビールとなる。ビールの種類は豊富だが、私はもっぱら「グリーン」を愛飲している(アルコール度数4.7%)。333mlでケースだと1本約MK80、レストランでもMK200(約150円)前後で飲める。この国の酒税は安く、お酒はお手ごろ価格で購入できる。
ところが、そうはいっても安いと感じるのは自国と比べている日本人だからだろう。マラウイ人の多くにとって、ビールは手軽に購入できるものではない。そこで、地元の人が飲むアルコールは、マラウイ版の“どぶろく”がメインとなり、材料はミレット、とうもろし、サトウキビなどとイーストが使われている。中でも国から認可されているどぶろくは、工場生産された“チブク”というもので、赤青白の縞模様が入った牛乳パックのような容器で売られている。値段は1リットルMK70。タダなら飲むけど、お金を払って飲みたくない程度の味である。このシンボルカラーは目に着きやすいので、建物がこの3色に塗られていれば、すぐにそこが“チブクバー”であることが判断できる。
その他によく飲まれているのは、蒸留酒である。認可されている“マラウイジン”などは、ちょっとしたお土産として重宝されている。しかし、地元で飲まれているのは未認可の“カチャーソ”と呼ばれるもの。今回は、そのカチャーソ作りの現場に足を踏み入れた。
酒造りは、小さな小屋の中でおこなわれている。土器のような瓶にとうもろこしを搗精したときにでるカスと砂糖、イーストを入れ、寝かして置く。発酵した後は、それにふたをし、上部にはパイプを通す。瓶を火にかけると中で蒸発したアルコールがパイプに流れる、そこでパイプを冷やして、蒸発した液体を容器に収めるといった具合である。なかなか面白いシステムであった。
試飲させてもらうと思ったよりもすっきりとしていたが、エタノールのような感覚もあった。ちょっと悪酔いしそうな味なので、そうたくさん飲み続けないほうが賢明であろう。
2009年7月12日日曜日
日本人がプロデュースするNew屋台 in Mzimba
ムジンバの友人らが以前から企画していた“ムジンバに名産を作ろう!”という計画に、私も首都から飛び入り参加した。この企画の背景には、マラウイではどこにいっても屋台ではフライドポテトや肉が売られ、それも何件も同じ店が連なっていることや、ムジンバに名産がないことなどがある。そして今回の目的は、ムジンバで名産になるような新しい商品を考案し、しかもそれがマラウイ人に受け入れてもらえるかを実際に販売することで市場調査をしてしまおう。というものであった。
私がムジンバに到着した日の夜、今回実行する6人(1歳の赤ちゃん1人含む)で話し合いをし、以下の商品を販売することに決めた。
1. Nyama ya soya(おからを使った揚げスナックで“大豆の肉”という意味)
2. キャラメルポップコーン
3. ピリピリグランドナッツ(唐辛子味の落花生)
4. キャロット“マンダシ”(マラウイの揚げドーナッツ)
5. お好み焼き
6. 干し芋
7. 豆乳ミルクティー
私が提案したものは、4番である。グアテマラにいたときに人参を卸したものと人参の葉を刻んだものを加えたビタミンAの豊富な蒸しパンを作り、好評だったことと、以前友人が人参入りドーナツを食べさせてもらい美味しかったことからカラフルに仕上がるマンダシは受け入れられるだろうと考えた。値段は1つMK20(約15円)で、現在売られているシンプルなものと同じ大きさで価格を倍に設定した。
前日は、事前に袋詰めまでできるキャラメルポップコーンや唐辛子落花生を作ったり、大豆を煮出して豆乳を作ったり、マンダシの試作を作ったりと風呂にも入らず、夜の1時まで作業を行っていた(風呂に入らなかったのは、ただ昼の断水の影響で水道から泥水しか出ず、貯め水は作業用に回していたからである)。
当日は、バス発着所入り口にあるレンタルした屋台の前に9時集合!日本人が普段雇っているマラウイ人ふたりにも協力を仰ぎ、みなそれぞれの作業に取り掛かった。私も集合したと同時に着いた長距離バスの窓に向かって、ポップコーンと落花生の販売を開始した。半分は「アズング(外国人:主に白人)が何かやってるぞ」という興味本位で買ってくれたが、食べた後に感想を聞くと、甘いポップコーンが受け入れられない人も中にはいたが、大概の人が「美味しい」と評価してくれた。ちなみにポップコーンも通常売られている味なしのものと同じ量で2倍の価格(MK20)に設定した。
最終的に、一番好評だったものは、お好み焼き(塩味)である。なんと70枚以上も売れた。ボリュームがあり価格はフライドポテトと同じMK50だったので、いつもランチにフライドポテトを買う人が試したようであった。そして一番利益の出たものがNyama ya soya、しかしそれを作る過程でできる豆乳を使ったミルクティーが売れなかったので、豆乳を使った売れる商品が考案されれば、無駄なく利益の高いセットができあがることがわかった。
私の考案したマンダシは揚げるそばから売れていったものの、利益はまさかの“マイナス”。売れる大きさにすると数が取れず、途中で「やばい(*_*;」とレシピを変更した。合計3種類のマンダシを販売し、2種類目、3種類目と改善するにつれ、利益が上がり、ほっと一安心(-。-)。改善策は協力者のマラウイ人に教えてもらい、ベーキングパウダーをドライイーストに変えることで、発酵により体積を増やし、水の量も増やしてとろとろにし、手で形を作るのではなく、お玉で油の中に流しいれた。
この日の収益は一人当たりMK500。もし私たちが外国人でなかったら、売り上げは半分のMK250くらいであったと思われる。ちなみに政府の1日の最低賃金はMK200。商売の難しさを学んだと同時に、売れる商品をプロデュースすることへの手ごたえも得ることができ、とても面白い体験であった。
尚、得た収益は、今回の日本人の一人が活動するNGOでの活動資金として寄付した。
私がムジンバに到着した日の夜、今回実行する6人(1歳の赤ちゃん1人含む)で話し合いをし、以下の商品を販売することに決めた。
1. Nyama ya soya(おからを使った揚げスナックで“大豆の肉”という意味)
2. キャラメルポップコーン
3. ピリピリグランドナッツ(唐辛子味の落花生)
4. キャロット“マンダシ”(マラウイの揚げドーナッツ)
5. お好み焼き
6. 干し芋
7. 豆乳ミルクティー
私が提案したものは、4番である。グアテマラにいたときに人参を卸したものと人参の葉を刻んだものを加えたビタミンAの豊富な蒸しパンを作り、好評だったことと、以前友人が人参入りドーナツを食べさせてもらい美味しかったことからカラフルに仕上がるマンダシは受け入れられるだろうと考えた。値段は1つMK20(約15円)で、現在売られているシンプルなものと同じ大きさで価格を倍に設定した。
前日は、事前に袋詰めまでできるキャラメルポップコーンや唐辛子落花生を作ったり、大豆を煮出して豆乳を作ったり、マンダシの試作を作ったりと風呂にも入らず、夜の1時まで作業を行っていた(風呂に入らなかったのは、ただ昼の断水の影響で水道から泥水しか出ず、貯め水は作業用に回していたからである)。
当日は、バス発着所入り口にあるレンタルした屋台の前に9時集合!日本人が普段雇っているマラウイ人ふたりにも協力を仰ぎ、みなそれぞれの作業に取り掛かった。私も集合したと同時に着いた長距離バスの窓に向かって、ポップコーンと落花生の販売を開始した。半分は「アズング(外国人:主に白人)が何かやってるぞ」という興味本位で買ってくれたが、食べた後に感想を聞くと、甘いポップコーンが受け入れられない人も中にはいたが、大概の人が「美味しい」と評価してくれた。ちなみにポップコーンも通常売られている味なしのものと同じ量で2倍の価格(MK20)に設定した。
最終的に、一番好評だったものは、お好み焼き(塩味)である。なんと70枚以上も売れた。ボリュームがあり価格はフライドポテトと同じMK50だったので、いつもランチにフライドポテトを買う人が試したようであった。そして一番利益の出たものがNyama ya soya、しかしそれを作る過程でできる豆乳を使ったミルクティーが売れなかったので、豆乳を使った売れる商品が考案されれば、無駄なく利益の高いセットができあがることがわかった。
私の考案したマンダシは揚げるそばから売れていったものの、利益はまさかの“マイナス”。売れる大きさにすると数が取れず、途中で「やばい(*_*;」とレシピを変更した。合計3種類のマンダシを販売し、2種類目、3種類目と改善するにつれ、利益が上がり、ほっと一安心(-。-)。改善策は協力者のマラウイ人に教えてもらい、ベーキングパウダーをドライイーストに変えることで、発酵により体積を増やし、水の量も増やしてとろとろにし、手で形を作るのではなく、お玉で油の中に流しいれた。
この日の収益は一人当たりMK500。もし私たちが外国人でなかったら、売り上げは半分のMK250くらいであったと思われる。ちなみに政府の1日の最低賃金はMK200。商売の難しさを学んだと同時に、売れる商品をプロデュースすることへの手ごたえも得ることができ、とても面白い体験であった。
尚、得た収益は、今回の日本人の一人が活動するNGOでの活動資金として寄付した。
2009年7月10日金曜日
糖尿病講座in Mzimba
現在、多くの途上国が抱える健康・医療問題のひとつとして、感染症(マラリヤ・HIV等)や非感染症(栄養失調症等)が克服されぬうちに、慢性非感染症(糖尿病等)が急増していることが挙げられている(WHO:1992)。そしてここマラウイもどうやら例外ではないらしい。
今日は、ムジンバ市立病院でおこなわれた糖尿病講座に参加させてもらった。私の生活圏内には糖尿病を抱えているマラウイ人の知り合いはいないのだが、30名ほどの参加者に会い、やっぱりいるところにはいるんだなといった感想である。患者さんは採血による臨床検査を終えた後、講習会用の部屋を訪れる。そこで私は、身体測定とBMI(Body Mass Index)の測定をお手伝いさせてもらったが、BMI30以上の患者さんの多いこと。
採血のために朝食を抜かしている患者さんたちは、空腹で最後の人を待ちたくないらしく「早くはじめてくれ!」とブーイング。ある程度の人が集まったところで、私の友人らは糖尿病講座をはじめた。内容は、栄養士さんが食事を摂ることによる血糖値の変動システムについて説明し、作業療法士さんがインシュリンの効果を上げる運動についての説明をしていた。
一番患者さんの反応が多かったものは、隠れた砂糖の摂取に対する注意事項である。マラウイ人はコーラや砂糖がたっぷり入った紅茶、またはクッキーや揚げドーナツなどが大好きである。しかし糖尿病患者である彼らには、これらの大量摂取は問題となる。しかし、止められない彼らはすごい勢いであれならどうだ、これならどうだといった具合にどこまで自分が摂取できるのか、栄養士さんに質問攻めであった。参加者がこんなに積極的になる講習会は珍しいかもしれない。私は、食べることに対してだと、皆こんなに一生懸命になれるんだなと、変に感心してしまった(^_^;)
そして講習会の最後には、栄養士さんが用意した食事が提供される。主食は秤を使って適正量が配られる。本日のメニューは、ウガリシマ(搗精されていないとうもころしのシマ:米でいう玄米)、牛肉と豆の炒め煮、サラダ(通常マラウイ人は食さない)とどれも食物繊維が豊富で空腹である患者さんの急激な血糖値の上昇を抑え、満腹感が得られる内容であった(写真はあまったのを私がランチとしていただいたので、サラダが少なくなっている)。ちなみに提供された飲み物は“水”、重要である!
今日は、ムジンバ市立病院でおこなわれた糖尿病講座に参加させてもらった。私の生活圏内には糖尿病を抱えているマラウイ人の知り合いはいないのだが、30名ほどの参加者に会い、やっぱりいるところにはいるんだなといった感想である。患者さんは採血による臨床検査を終えた後、講習会用の部屋を訪れる。そこで私は、身体測定とBMI(Body Mass Index)の測定をお手伝いさせてもらったが、BMI30以上の患者さんの多いこと。
採血のために朝食を抜かしている患者さんたちは、空腹で最後の人を待ちたくないらしく「早くはじめてくれ!」とブーイング。ある程度の人が集まったところで、私の友人らは糖尿病講座をはじめた。内容は、栄養士さんが食事を摂ることによる血糖値の変動システムについて説明し、作業療法士さんがインシュリンの効果を上げる運動についての説明をしていた。
一番患者さんの反応が多かったものは、隠れた砂糖の摂取に対する注意事項である。マラウイ人はコーラや砂糖がたっぷり入った紅茶、またはクッキーや揚げドーナツなどが大好きである。しかし糖尿病患者である彼らには、これらの大量摂取は問題となる。しかし、止められない彼らはすごい勢いであれならどうだ、これならどうだといった具合にどこまで自分が摂取できるのか、栄養士さんに質問攻めであった。参加者がこんなに積極的になる講習会は珍しいかもしれない。私は、食べることに対してだと、皆こんなに一生懸命になれるんだなと、変に感心してしまった(^_^;)
そして講習会の最後には、栄養士さんが用意した食事が提供される。主食は秤を使って適正量が配られる。本日のメニューは、ウガリシマ(搗精されていないとうもころしのシマ:米でいう玄米)、牛肉と豆の炒め煮、サラダ(通常マラウイ人は食さない)とどれも食物繊維が豊富で空腹である患者さんの急激な血糖値の上昇を抑え、満腹感が得られる内容であった(写真はあまったのを私がランチとしていただいたので、サラダが少なくなっている)。ちなみに提供された飲み物は“水”、重要である!
2009年7月9日木曜日
焼きとうもろこしの食文化
本日の私の昼食は、長距離バスの中から購入した焼きとうもろこし1本MK20(約15円)である。なぜ長距離バスかというと、昨日から夫が8日間の出張となり不在のため、首都から北へ4時間半の友人宅を訪問することにしたからである。夫の仕事中に遊びに行き、ごめんなさいm(_ _)m。といいたいところだが、私もただの遊びではないといいわけをしてしまおう。
今回の旅の目的は、明日友人らが開催する糖尿病講座に出席させてもらうことと、翌日は市場調査を兼ねて、私たち日本人がプロデュースする商品を屋台で販売することである。これらについては、次の機会に記述するとして、ここからは主題について話を進めていく。
さて、私はこれまで日本を含めて4カ国の焼きとうもろこしを食べてきた。日本はいうまでもないが、醤油をつけながら炭火で焼いたもの。他の国でも炭火で焼くが、グアテマラでは、最後にマヨネーズ、ケチャップ、チリソースがお好みで塗られる(これもハマルと癖になる)。そしてホンデュラスでは、最後にマーガリンを塗っていた。どの国のものもおいしくいただいたが、私の一番のお気に入りは、ここマラウイの素朴な焼きとうもろこしである。
説明すると、使用されるとうもころしは、主食に使われるとうもろこしの乾燥前のもので、日本でよく見られるスイートコーンとは異なり、甘みが少なく、硬めである。それをただ炭火で焼くだけがマラウイ風。まったく味付けをしないために、炭火の香ばしい匂いを純粋に楽しむことができる。
そして硬いために、一生懸命に噛まなければいけないが、その噛む行程により口の中で甘味が増していくのを感じることができる。村を訪問したときにいただいたものは、皮をむかずにそのまま火に放り込んだものであった。取り出して、焦げた皮をむくと程よく焦げ目のついたホクホクの焼きとうもころしがかおをだす。小ぶりであったがとてもおいしかった。
最後に日本人向けの注意事項を伝えておく。おいしいからといって一度に2本も食べないほうがよい。2本食べようものなら途中でアゴが疲れてしまい、最後まで食べるのは難しいだろう。
今回の旅の目的は、明日友人らが開催する糖尿病講座に出席させてもらうことと、翌日は市場調査を兼ねて、私たち日本人がプロデュースする商品を屋台で販売することである。これらについては、次の機会に記述するとして、ここからは主題について話を進めていく。
さて、私はこれまで日本を含めて4カ国の焼きとうもろこしを食べてきた。日本はいうまでもないが、醤油をつけながら炭火で焼いたもの。他の国でも炭火で焼くが、グアテマラでは、最後にマヨネーズ、ケチャップ、チリソースがお好みで塗られる(これもハマルと癖になる)。そしてホンデュラスでは、最後にマーガリンを塗っていた。どの国のものもおいしくいただいたが、私の一番のお気に入りは、ここマラウイの素朴な焼きとうもろこしである。
説明すると、使用されるとうもころしは、主食に使われるとうもろこしの乾燥前のもので、日本でよく見られるスイートコーンとは異なり、甘みが少なく、硬めである。それをただ炭火で焼くだけがマラウイ風。まったく味付けをしないために、炭火の香ばしい匂いを純粋に楽しむことができる。
最後に日本人向けの注意事項を伝えておく。おいしいからといって一度に2本も食べないほうがよい。2本食べようものなら途中でアゴが疲れてしまい、最後まで食べるのは難しいだろう。
2009年7月8日水曜日
日本食材
発展途上国といっても、大概数軒の日本食レストランがあったり、日本食材が購入できるお店があったりするものである。残念ながらここマラウイでは、日本食レストランは皆無だ。加えて日本食を作るための材料を購入できるお店が数軒あるものの、ある中華食材店では、オープンしたばかりだというのにすべての商品の賞味期限が切れているとのうわさを聞き、怖くて一度も足を踏み入れたことがない。フレンドリーな店長のいる中華食材店もあるが、残念ながらそこの商品の賞味期限も大概過ぎている。私が唯一頼っているのはジンバブエ人の経営するお店、通称ジンバショップである。
この店は南アフリカから定期的に商品を入荷している。そして、嬉しいことにリクエストした物を入荷してくれることもある。数ヶ月前、友人が何度と“キューピーマヨネーズ”をリクエストし、入荷してもらったので、それが人気商品であることを示そうと買い物に行く度に購入していた。私も「よっし、協力するか」と1本買ったのだが、MK1500/500gと値段がはるため(約1000円)、それ1本きりである。というか、二人家族なのでまだ終わっていない。
そして高いのはもちろんマヨネーズだけではない。もち米、海苔、わさび、ゴマ油、筍の水煮etc.いろいろ購入できるのは有難いが、なかなかの値である。加えて入荷頻度が少ないため、例えば味噌が3ヶ月入荷されなかったときもある。ということで、日本食材は主に日本へ帰国したときに揃えるようにしている。また友人と協力し合う。例えばもうすぐ帰国する方と物々交換のようなものをしたり、取りあえず借りて置き、帰国したときに新しいものを購入して返したり、といった具合である。このような相互扶助は、日本から遠く離れたマラウイだから経験できるのか、日本人の温かさが身にしみる機会となる(^。^).。o○
さて、そんなことをいっても日本食の味の決め手となる“醤油”。液体のため日本から持ってくるのも大変であり、消費量も多いのでやっぱり現地調達。前回、日本から頑張ってもってきた在庫がとうとう切れてしまい、本日ジンバショップで購入したのだが、「高~い\(◎o◎)/!」。昨年MK1850/1.6ℓだったものが、MK2950まで上がっていた。中国産の醤油を買えば安上がりだが、マラウイで日本食を食べるならやっぱり“キッコーマン醤油”かな~。
この店は南アフリカから定期的に商品を入荷している。そして、嬉しいことにリクエストした物を入荷してくれることもある。数ヶ月前、友人が何度と“キューピーマヨネーズ”をリクエストし、入荷してもらったので、それが人気商品であることを示そうと買い物に行く度に購入していた。私も「よっし、協力するか」と1本買ったのだが、MK1500/500gと値段がはるため(約1000円)、それ1本きりである。というか、二人家族なのでまだ終わっていない。
そして高いのはもちろんマヨネーズだけではない。もち米、海苔、わさび、ゴマ油、筍の水煮etc.いろいろ購入できるのは有難いが、なかなかの値である。加えて入荷頻度が少ないため、例えば味噌が3ヶ月入荷されなかったときもある。ということで、日本食材は主に日本へ帰国したときに揃えるようにしている。また友人と協力し合う。例えばもうすぐ帰国する方と物々交換のようなものをしたり、取りあえず借りて置き、帰国したときに新しいものを購入して返したり、といった具合である。このような相互扶助は、日本から遠く離れたマラウイだから経験できるのか、日本人の温かさが身にしみる機会となる(^。^).。o○
さて、そんなことをいっても日本食の味の決め手となる“醤油”。液体のため日本から持ってくるのも大変であり、消費量も多いのでやっぱり現地調達。前回、日本から頑張ってもってきた在庫がとうとう切れてしまい、本日ジンバショップで購入したのだが、「高~い\(◎o◎)/!」。昨年MK1850/1.6ℓだったものが、MK2950まで上がっていた。中国産の醤油を買えば安上がりだが、マラウイで日本食を食べるならやっぱり“キッコーマン醤油”かな~。
2009年7月4日土曜日
有機農業 In Malawi
今日は、農業に興味のある人が集まったサークル、農業分科会が首都から1時間ほど離れた有機農場を見学するとのことなので夫と二人でおじゃまさせてもらった。ちなみにここの見学料はMK300、そしてここで採れた食材を使ったランチが+MK300で楽しむことができる(どのおかずもとても美味であった♪)。
そこは、マラウイ人の経営する農場としては、これまでみたことのないほどに整備され、農場というよりはひとつの“施設”のように感じられた。
到着後、まず私たちは有機農法についての説明を受け、ランチの後に、2時間ほど歩きながら各農地の説明を受けた。途中、薬草やにんにくを潰して、水に溶かして使う農薬(主な効用は虫除け)の作り方から使用までの一連の流れをデモンストレーションしてもらった。写真はレタスと唐辛子にはたきの様なスティックを使って農薬を振りかけている様子である(彼の背後にはズッキーニ畑が広がっていた♪)。
2009年7月3日金曜日
マラウイエイズ学会(本題)
最近、厚生労働省が日本における昨年のHIV感染者と新たなAIDS患者が過去最高になったことを発表した。世界の国々がHIV/AIDS撲滅のためにがんばっている中、悲しいことに日本は感染者数が増加している数少ない国のひとつとなっている。
マラウイでは、どこの地域も盛んにHIV/AIDS撲滅に向けた啓蒙活動が行なわれている。その実績としては、15‐24歳(全体の50%がこの年齢の範囲)のHIV罹患率が2003年に18.3%だったものが、2007年に12.3%に減少したという報告がある。またART(Anti-Retroviral Treatment:抗レトロウイルス治療)を受けている15歳以上の患者が2003年に2,880名だったものが、2007年には108,948名まで増加している。
これらの実績に貢献してきた政府やNGOなどが、この学会の中で、これまでの活動紹介や調査の発表をしたと言えば、興味深い内容であったことを理解していただけると思う。私は、マラウイでボランティアをするまで栄養士としてHIV/AIDSの方たちと関わったことがなかったため、この学会は情報収集として大いに役立った。
また、発表後の質疑応答も熱心な視聴者により、面白かった。例えば、ひとりの発表者がTBA(Traditional Birth Attendants:伝統産婆さん)に母子感染予防の役割を担ってもらうための教育や教材の提供について活動報告を終えると、視聴者の中のクリニックスタッフの一人が「私たちは家庭でのお産から、クリニックでお産をするように促している(つまり、その活動は方針と反している)」と意見を述べたかと思うと、その発表者は、クリニックの受け入れ態勢が整っていないことの問題点、例えば部屋やベッドが不足し、廊下に地かに座って待たされている妊婦の現状等を指摘する。この様にいろいろな視点からの意見により、私は現状を知ることができた。
その他に私が気になったものは、政府の方針として、地域で選ばれたボランティアに家庭訪問をさせてその場でエイズ簡易検査を促す活動があった。これは、政府系クリニックで無料でエイズ簡易検査ができるにも関わらず、受診者数が増加しないことへの対策である。私はエイズの診断は、マラリヤや風邪の診断とは違いもっとセンシティブな問題であると考えるので、果たしてそのような重要な役割を地域のボランティアに担わせていいのだろうかと疑問に思ってしまった。このようなボランティアの役割については、ザンビアなどでも物議を醸し出しているとのことなので、もっと調べてみようと思った。
この2日間の学会は、HIV/AIDSの方たちのために栄養士として貢献できることは何か、これからも勉強していきたいという意欲が湧く機会となった。
マラウイエイズ学会(序)
7月2,3日の2日間、NAC(National AIDS Commission)主催の“National HIV and AIDS Research and Best Practices Dissemination Conference”に参加した。数日前に友人から連絡をもらい、新聞に掲載されていた連絡先に参加の申し込みをしたところ、担当者からは「参加は自由です。その代わり交通費やAllowance(手当て)がでません。」とのこと。先日ザンビアの栄養学会がUS$200だったように、日本でも学会というといくらかの参加費が掛かる。それが参加費“無料”というのだから、驚きだ!ましてや上述した費用がでないのは私としたら当たり前といいたい。しかし、これがマラウイ人の感覚なのである。
話がやや逸れてしまうが、マラウイでは講習会や研修会を開催する側が、Allowanceといういくらかの日当のような手当てや食事を用意する習慣がある。この習慣の導入はマラウイ政府によるものと思われ、政府は講習会等の名目でドナーなどから多くの予算を確保する。この国は公務員の基本給を低く設定して、能力向上等の目的で開催される会合に参加することで、低い給料を補わせているようにも思われる。そのため、能力向上が目的ではなく、給料を増やす目的で参加している者が多い現状があり、これが、人材育成を目的として活動している多くの日本人の悩みの種となっているのである。
この学会も例外ではない。Hotelの会場を貸しきり、パンフレットや文具品、1日2回のtea Break や豪勢なLunchが全て無料で提供され、こんなところで税金が思いっきり使われている現状を目の当たりにし、本題に入る前に思わず愚痴ってしまった。。。
最後にフォローさせてもらうと、この学会に関して言えば、税金の使い方が問題なのであって、学会の内容自体は満足のいくものであった。ということで、本題もみてね。
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